本音を言うと、僕は小さな頃から何をしても人より上手く出来ました。苦手なものもありましたが、色々な分野で友達よりもずっと前を進んでいました。もしもあのまま何をやらせても人より出来る八方美人で成長し続けていたら、きっと今頃大物に僕はなっていたと思います。でも、本音をもう一つ言うと、僕は昔から何に対しても心からやりたいと思うことが出来ませんでした。何をやらせても人より優れているのはそうだったのですが、"何かをやらせないと自分からはやろうとしない"子供でもあったのです。 兄が時代の若者すべてがそうであったようにバンドに憧れを持ち、なんだったらお前もやるかと声を掛けられて始めたのがドラムでした。みんなが喜んでくれるから、僕はドラムを続けましたし、周囲に尊敬されることが嬉しくて僕は音楽を続けていました。はっきり言って、僕はバンドで成功することなんてこれっぽっちも憧れていなかったのです。自分の意志を別にして、ただ周りに流されるまま周囲の期待するものを作り、演奏することを僕は生真面目に続けたのです。 作曲はというと、実はドラムを始める前から、自分が曲を書くことの出来る人間だと知っていました。それこそ、自分が鉄棒で逆上がりが出来るということを最初から知っているような、そんな感覚でした。誰に促されるわけでも、自分で望んだわけでもなく、僕は作曲をするようになりました。アメリカに渡って専門的に勉強するまでには、もう僕には作曲しかなくなっていました。それも、僕が望んだわけでもなく自然の成り行きでそうなっていたのです。 今もそのまましがない作曲家を続けていますが、思い返してみると中学生の頃、一つだけ憧れたものがありました。中学の同級生で、とても奇抜で異質なヤツが一人いました。そいつはとにかく絵を描くのが上手くて、そいつの教科書はタッチからしてレベルの違う落書きで埋め尽くされていたのです。美術の時間でも、そいつの絵はもう先生より上手いんじゃないかというほどリアルで印象的で迫力があって、それを見る度僕はどこか悔しいような羨ましいような気持ちになったのです。僕はその頃、そいつに対抗するように長編小説を書いていましたが、心のどこかでずっとアイツみたいに絵を描きたいという気持ちがありました。 そう、僕は画家に憧れたのです。その友達のようになりたくて、自分の教科書にも沢山落書きをしました。でも、人間、出来ることとやりたいことは必ずしも同じではありません。中学を卒業する頃になると、そいつの画力は最早アマチュアとは呼べない位になり、それと同時に僕がドラムを叩いてリーダーをしていたバンドは大阪のアンダーグラウンドで噂になる位のレベルになっていました。僕には別にやりたいと思わなくても元々出来る音楽というものがあって、そいつには僕がひっくり返っても出来ない絵を描くということが出来る、そういうことを感じ始めたのは高校に入った頃でした。 僕は高校の間も、アメリカで大学に通い始めてからも絵を描くことを趣味にしていました。僕が最後に作品と呼べる絵を描いたのは、アメリカで二番目に住んでいたワンルームアパートの壁一面に天使と死神を描いた時でした。アパートを半ば強制的に立ち退かされ、その時に3日がかりで洗剤で消してしまったあれ以来、僕は絵を描くものというより、見るものと捉えるようになりました。パリで美術館に飾ってある数々の名作を見ても、なんだかもう僕には遠い世界のことのように感じられたのです。あんなに憧れたのは、近くに大きな才能がいたからなんですね。そいつと会わなくなって、他人のことなんて考えていられないほど忙しく自分の世界に浸って、気がつくと昔はあんなに八方美人だった自分は、音楽しかできなくて、不器用に社会の隙間を生きるロクデナシになっていました。 そんなロクデナシな自分を、僕は結構気に入っています。一般的に就職を試みれば門前払いを喰らい、社会的に成功している作曲家の弟子になる道も用意されていたのにわざわざそれを拒否し、彼女もおらず煙も立たず、あれだけ町の有名人みたいに優れた子供だった僕は今となってはその影もありません。ただ、自分が誇りに思うことは、日の当たる華やかな世界を生きることが出来た人生を自分の意志でねじ曲げて今のロクデナシになった、ということです。少なくとも僕は誰かのためでも、社会に流されたからでもなく、自分の理想の為だけに生きるようになりました。散々社会に中指を立てる人生を生きてきた僕ですが、そういえば人間らしく、普通に、何かに憧れた時代もあったなと、ふとそんなことを思うのです。 振り返ると長い時間をかけて、僕はだんだん人というよりも音楽に取り憑かれた亡霊のようになりました。もう僕には、年長者の諭すような言葉も届きませんし、社会通念も意味を持ちません。未だに僕が憧れて音楽をやっていると思っている人・・・まあほぼ僕の周りの全員ですが・・・がいますが、残念ながら僕はそんないくらでもやり直しのきく、後戻りの出来る所にはもういないのです。「そんなことをするくらいなら首でも括るよ」と僕は結構言いますが、僕が本当にそう思ってそんな言葉を口にしているとは、これも残念なことに誰も思っていないのです。まあ、他人に分かって貰おうなんて最初から思っていませんが。 何度も書いてきたことですが、僕は明日死んでも良いように、今音楽をしています。僕が昔のように八方美人で何でも出来たら、きっとこの真意を周囲に伝えることも出来たのでしょうが、僕が画家になりたいという憧れを失い始めた頃から、僕は意図的に社会や周囲との関係を断ち切って来ました。中学高校時代の僕の持論は"人は一人では生きられないが、一人で生きようと努力すべきだ"でしたからね。憧れを失うことを大人になるというのなら、きっとそれは僕にも確かにあったのだと思います。もしも僕が始めから音楽ではなく絵を描くことの出来る人間だったら、きっと今という時間は全然違う風に流れていたと思います。
by Alfred_61
| 2008-06-09 03:00
| 日記
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