夜の空は高く、人々は眠り、風は遠くから安らかに吹き付けます。世界はこんなにも広くて、世界はこんなにも美しくて、世界はこんなにも優しい。自分が社会という構造の中でウジウジと考えているちっぽけな難事なんて、大きな自然の中では本当に矮小で頼りなく、ろくに意味も持たない事柄なのです。 周りの人たちがこう考えるから自分もそれに対してこう思う、なんて本当は音楽を作る上であんまり必要なことではないんですよね。もっと言ってしまえば、音楽を作ることが生きることと同意義の僕にとって、誰かがどう思うから自分はこう思う、なんて僕の人生にあんまり必要ないことなのです。 所詮は、僕も一つの脆弱な魂です。明日死ぬのなら、そういうものなのでしょう。自分の意志で死へと歩いていくことが人生だとしたら、僕は教科書通りその道を進んでいます。身体が病んだからといって、それを必死になって回復しようとすることには、僕は正直疲れています。僕をこの世界に繋いでいるのは音楽に対する責任感だけです。もしもそれがなければ、僕はとっくの昔に自ら死を選んでいたでしょう。誰にも知られないような方法で、ただこの世から消えることは、僕には永遠の快楽があるように思えるのです。その誘惑に対抗する意志は、僕にとって音楽でしかないのです。 たとえて言うなら、そう、この夜空が美しいと感じる、それが僕がしていることです。そこになんの意味があるのかと言われると、特に何もないと答えるでしょう。しかし、僕が夜空を美しいと感じることを放棄するときというのは、つまりこの世界を終わらせるということです。僕がいなくなると色々感じる人はいるでしょうが、はっきりと言ってしまうと僕がいないから困る人はこの世にはいません。例え一時の感情で私は困る、と主張する人がいても、心配をしなくても時が経てば僕がこの世界でしていたことが彼らの人生において何ら意味を持たないことを知るでしょう。 人と人との繋がりなんてそういうものです。僕という魂と大自然の繋がりに比べたら、ほとんど無意味と言えるものです。僕はやがて早かれ遅かれ自然へと還る存在です。今という時間が永遠に続くような錯覚からは、僕はもう随分昔に覚めてしまっていて、一日、一時間、一分を生きるということが少しずつ死という永遠の赦しへと向かっていることを、具体的に実感して今を生きています。 世界は自分に始まり自分に終わります。その現実をごまかすように他人と自分の間に自分を作ることは、例え万人がしていることでも僕には受け入れられることではないのです。恐らく神様は僕たち人間に幸福感という麻薬を与え、それを求めて生きることを無言のうちに強制したのです。誰かを好きになること、誰かに自分を理解して欲しいと感じること、誰かを理解しようとすること、それらはすべて神様の思惑通り人間すべてが"正しいこと"と無意識に信じて実行していることだと思います。 もしも本当に神様がいて、良い行いをした人が天国に行けるのならば、僕はまず間違いなく地獄に落とされるでしょう。僕は悪い行いはしませんが、神様の意志にも従わないからです。誰が考えても正しいと思うことを、僕は正しいとは思いません。神への最初の冒涜は、神に対して疑問を抱くことです。当たり前のこと、普通のことに対して僕は疑問を持つことをやめません。生きている以上は少しでも長く生きる努力をするのが当たり前ですが、僕はそれを当たり前とは思っていません。苦しみから逃れるためだけにするのが自殺でもないと、僕は思っています。 夜の空は高く、人々は眠り、風は遠くから安らかに吹き付けます。世界はこんなにも広くて、世界はこんなにも美しくて、世界はこんなにも優しい。自分の人生が幸せかそうでないかは、あまりどうでも良いことです。世界にはもっと大切な、見失ってしまってはいけないことがあります。世界にはもっと大切な、理解しなければいけないことがあります。僕はただゆっくりとそこへ向かって歩いているだけの脆弱な魂です。
by Alfred_61
| 2008-06-10 03:31
| 日記
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