例えば、自分の親友が事故に遭い意識不明で病院に運ばれました。そこで初めてオロオロして眠れなくなってするのって、僕にはどうしても理解できません。だって、その可能性ってずっと昔からあったわけで、それがたまたま今日という日に起こっただけのことでしょう?それが起こってしまったことを後悔するなんて詮無きことする人はさすがにいないと思いますが、それが絶対起こりえないことではなかったのはただ自分が身を背けていただけの変えようのない真実であって、それが突きつけられた現実でさえもそれから目を逸らそうと慌ててみたりパニックを起こしたりするのは、滑稽以外の何物でもありません。 自分が歩いている道でも、ほんの数歩ずれただけで自分の人生が死という現実に飲み込まれる可能性を常に持っていることを、ただ人々は考えたくないから逃げて目をそらして考えないようにしているだけなんです。けれども、本当に聡い生き方というのは可能性から目を背けずに、常にそれを認めた上でそれを回避するために弛まぬ努力を死ぬまで一分一秒と休むことなく続けることだと僕は思います。そんなことをしていたら気が狂ってしまうと言うのは、ただ逃げているだけ。人間はそんなに柔ではありません。 いざ自分の配偶者を失ってから悲しみに暮れる、なんてどうかと僕は思います。いつの間にか二人で一つのように自分で錯覚して生きてきただけであって、本当は誰しも最初は一人だったんですから、考えようによればあるべき姿に戻っただけです。人と人との繋がりに甘えて、依存して、それが無常なるものであることから目を背けて生きる、なんて僕にはどうしても出来ません。 何度かここにも書いてきましたが、僕は新しい出会いをするとき、すでにその人とどういう形で永久の別れをするのかを考えます。可能性なんていくらでもあるわけで、それから目を背けてつかの間の快楽におぼれるのは、どうしても僕には出来ないのです。将来への強い想いがあるから現在を生きる力が湧いてくるわけで、決して未来から逃げることで今をやり過ごしてそれで自分がきちんと誠実に充実した人生を生きているなんてとてもじゃないけど僕には思えません。 自分が明日死ぬかもしれないと考えながら僕が毎日生きていることは何度も書いてきましたが、それは裏を返せば自分の身の回りの人々も明日にも死ぬかもしれないのです。考えたくないから考えないのではなくて、僕は真っ正面から絶対に目をそらさずにそれに向かっていく生き方を理想とします。可能性を俯瞰的に捉えて達観するのでもなく、僕は一番地べたのレベルで対象に真っ正面から挑むのが自分らしい生き方だと思います。実際このブログなんかまさにそれを地でいくようなものだと思うのですが。物事を偉そうに捉えるのでも、辛いことから目を背けるのでもなく、真っ正面から体当たり。このブログはそういうつもりで書いていますし、それが誰にどういう誤解をされようが僕は自分が朽ちるまで体当たりの姿勢を変えません。
by Alfred_61
| 2008-08-20 22:04
| 日記
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