辛いことを経験せずに、楽しいことや美味しい部分だけを味わおうなんて虫が良いですよね。それはまあ常識的なことだと思います。今の自分から何か変わっていこうと思うなら、そこには常に恐怖や痛みがあるのです。それでも変わりたいと願うから人は変われるわけで、そこでくじけたり変わらないという逃げ道に走ったりすると人生の充実感というものはどんどんなくなっていくわけです。 考えてみれば、人間関係でもそうなのですよ。例えば、誰々さんともう少し近い仲になりたい、と思ったとしても、そこで傷つくことを恐れて尻込みしているだけだったり、もしくは孔雀のように羽をばさばさ揺らして相手がオッケーを出すまで待っている、なんてのは僕にはかなり不愉快に感じる生き方です。 そもそも、そういう受け身の生き方をしているヤツに限って、他人の顔色をね、えさをばらまいてそれに対して此方がどういう対応をするかを伺うんですよ。これがもう僕にはどうしても我慢できないのですよ。そういう生き方してるヤツ、僕ははっきり言って大嫌いです。出来ることならば僕には関わって欲しくもないし、話もして欲しくありません。声を掛けられるだけで虫酸が走ります。 ビビらずに裸一貫でぶつかってくるバカが、僕は好みです。別に内容なんてないのにとりあえずその場をしのぐ会話を振ってきて様子をうかがいながら徐々に此方に寄ってくるようなのは、はっきり言って僕は相手にもするつもりはありません。痛みを恐れて、痛まないように逃げながら、偽りながら生きているなんてまさに愚の骨頂だと僕は思います。今さえ楽しければ良いとか、前はこんなことがあったけれど今はこうだから昔のことは忘れて笑っている、とか本当に気に入りません。 自分と相手の今の関係を変えたいなら、まず自分が偽らず、誠実な気持ちでそれを真っ直ぐ表現すれば良いのです。世間を生きていてもそうです。変えたい、変わりたいと思うなら自分が失うことを恐れていては何も出来ません。そしてね、実は失うことを踏まえてでも挑戦するっていうことは、本当は何も失わないんですよ。失うのではなくて、手に入れているだけなんですね。そうでなければ人間というものは成長しません。つまり、失うことや傷つくことを恐れて生きると言うことは何歳になっても人間的にガキのまんまだ、ということです。そんな人間と、最初から失うつもりで体当たりするのが信条の僕がどうやって上手くつきあえるでしょう。そんなバカな、ね。 病は気から、ですが、逆の、人生の充実も気から、なんですよ。心が折れてたらどれだけ社会が認めようが、どれだけ地位が上がろうが、どれだけ年を取ろうが、どれだけの子の親になろうが、人間的にははっきり言ってダメですよ。でもね、失うことを恐れないことと、自意識過剰になることはまた別の話です。何度も書いていますが、いざ誰か身近な人が死んだりしてからボロボロになる人間は、それはまた生き方を間違えているんです。謙虚さを持ち、その上でいつまでも失うことを恐れず挑戦を続ける、それこそ充実への第一歩ですよね。これが分からんバカがアメリカにいましてね、困っているんですよ。
by Alfred_61
| 2008-08-27 23:49
| 日記
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