世の中には、少なければ少ないほどその意味が強くなるものが沢山あります。例えば、女子校が今年から共学校になったとして、最初の年には一クラス30人の中で男子が3人しかいなかったとします。すると、その3人はかなりクラスの女子からモテるのです。社会一般の基準より不細工揃いでバカ揃いでも、数が少ないというつまり"希少価値"でその3人はモテるのです。 実に人間の価値観なんて気まぐれで流動的なものです。嫌な話ですが、グループ交際(例えば4人組の男と4人組の女が全員ペアになってる)なんて、こういう希少価値的な錯覚の産物だと思います。そりゃあそれを飛び越えるほどの恋愛はありますが、なかなか面白いことにこれがかなりの確率で錯覚なんですよね。 田舎と都会の違いも同じですよね。大都会にいればいるほど人間同士の関わりは薄くなり、田舎に住んでいるとその辺のオバチャンとも知り合いで噂もすぐに広がるものです。数って、多ければいつでも良いわけではないんですよね。少なければ少ないほど価値が上がるものって、よく考えればほとんどすべてのものですよね。漁獲高もそうだし収穫量もそうだし。 お金なんかもそうですよね。お金って多ければ多いほど社会的価値は確かに上がりますが、一つ一つのお金に対する人間の価値観は薄れていきますよね。ほんの少しのお金で生活することって、お金に余裕のあるときにやると凄く感慨深いですよね。お金をケチるんじゃなくて、必要な分だけを使ってそれ以外には全く使わないということを半年くらい続けてみると、これはこれでなかなかお金の大切さが深く感じられたりするんですよ。 一人の人を愛するとしても、その人と一緒に過ごす時間なんかも、少なければ少ないほどその価値は上がると僕は思います。ただ、それはとても辛いことだし、やっぱり人間は自分の欲求に抗えない生き物ですから、欲しいものはもっと欲しくなるのです。 さてさて、音楽で、この話を考えると一体どうなるでしょう?一つのアイデアを繰り返したり、多少いじった一つのアイデアを曲中にちりばめるって、それって本当にそのアイデアを大切にそして効果的に使っているということと同意義なのでしょうか?ブラームスやベートーヴェンがやったことって、本当に音楽的に考えるとどうなんでしょうか。特にブラームス。僕はこの理由でこの作曲家があまり好きではありません。
by Alfred_61
| 2008-09-22 00:01
| 日記
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