なんだかんだ言って音楽は所謂サービス業の一つであって、無形の奉仕をして他人を何らかの形で喜ばせて代わりにお金を貰う仕事です。医者でもラーメン屋でも同じサービス業ならすべてそうなのですが、音楽においてお客を選ぶという行為は音楽の存在そのものを否定する、つまり自分自身の作っている作品を自分で否定するのと同意義の愚直な行為で、そんなこといくら人としてしたいと感じても此方奉仕をする側は死んでも言えないのです。 例えばお寿司屋で、自分はそれなりに美味しいと感じていて、お酒も美味しく飲めているし、別に最高級ではなくても普通に満足な状態だったとしても、すぐ隣で寿司を食べているサラリーマンが「あかんわ。酢飯は堅いしネタも乾いてるし、不味いわ。こんなんに金払われへんわ」と言って座っていた椅子を蹴り倒して一万円札を放って店を出たとしたら、やっぱり味は変わるのです。それがサービス業の宿命でもあり、もっと言えばサービス業で成功するということはすなわちそういうお客に対しても最高のサービスをして喜ばせることが出来ないといけないんですね。 さて、かなり難しいことを言いますが、舌は並程度だけれども特に文句も言わずに出したものを黙って食べてお金を払ってくれて何度も来てくれるお客を喜ばせることと、舌はかなり肥えているというかグルメででも不味いものは不味いと言うし気に入らないと怒鳴り散らして帰って行くお客を喜ばせること、どちらかを優先しなければいけない時、どちらを優先するべきでしょう? 音楽に言い換えます。アカデミックな音楽を聴き、クラッシックマニアでブーレーズを崇拝しているような人に大絶賛されるような曲を書くのか、それとも巷でエグザイルとかを日常的に聞いているようなオネエチャンに喜ばれるような曲を書くのか、どちらが音楽としてあるべき姿なのでしょうか? さてさて、答えを探すのはミュージシャンそれぞれのタスクで、僕は問題提議はしても答えは言いません。もちろん僕には自分の意見はありますが、こういう難しいテーマの時には言わない方が良いものです。客商売の神髄、それが一体どこにあるのか、その業種に従事しているならば一度は本腰を入れて考えなければいけないことであって、必ず十人が十通りの答えを導かなければ社会にヴァラエティは生まれないのです。まあ、それ以前にそんな難しいことは考えたくない、と簡素で単純なサービスを繰り返すだけで長いものに巻かれることを選ぶ人は、僕は最初からサービス業なんてしなければいいのにと思います。こだわりもないのに飲食店をされても、そこに運悪く入ってしまったこっちの気持ちはどうしてくれるんだと言いたくなります。
by Alfred_61
| 2008-11-26 23:38
| 日記
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