大学で知り合った人々というのは、まあ大半日本人以外の人たちなのです。インディアナ大学音楽科にはアメリカ人はもちろんスペイン人、メキシコ人、ドイツ人、カナダ人、イスラエル人、ルーマニア人、中国人、韓国人、台湾人、インド人、タイ人、マレーシア人、トルコ人、ブラジル人、フランス人、ドイツ人、イギリス人、スウェーデン人、イタリア人、ロシア人、実にざっと思い返しただけでもこれだけ色々いました。まさに国際色溢れる学校だったのですが、一方で州立大学として国益を優先する面もあった学校でした。 しかしまあ、その中でも僕と正面から向き合えるほど強く自分を持っている人はごく僅かしかいませんでした。先生方は別にして、級友では実に数人しかいないのですよ、大学を出ても未だに交流しているのは。でも、メールを送ると必ず返してくれる連中ばかりなんですよね。不思議なことに。同じ学校にいただけの友人ですし、確かに普段から交流するような連中はほとんどいませんが、みんな顔を合わせれば酒が飲める奴らばかりです。 まあ、今はみんなどいつもこいつも下積みしてますからね。実際どうやって生計たててるのか謎な人しかいませんが、それを言うときっと「お前もな!」と言われるでしょう。まだ大学院に進んだ連中はそれなりにうだつの上がらない学生を続けているんだろうと想像できますが、大学院も卒業"しなくてはいけない"状況にいた連中は今頃ホントに何してるんだろうなと疑問に思います。まあ音楽でまっとうにやっているヤツは本当に数えるほどしかいないでしょう。大半は先生でしょうか。 学校にいた頃はただ純粋に音楽を語り合い、音楽を演奏し、音楽を作って楽しさを共有しました。けれども、音楽は意外と孤独な業界ですので、みんなそれぞれの立場でそれぞれに努力していると思います。僕みたいに自分のアンサンブルがあるだけでも恵まれていると思わないといけないと思います。特に作曲は孤独に電子音楽作って巷の小さな仕事をこなしている連中・・・具体的にはカラオケのMIDIリアライゼーションを作ったり、地方のオーケストラや楽団に付いてパート譜を作ったりする写譜士になったり、地方の高校のブラスバンドの指導員になったり、その辺が良く聞く辺りです。音楽で仕事をするなんて、そういう程度のものですよ。専門職とはいえ門戸の狭いビジネスですから、なかなか仕事にありつくことさえ大変なんですよ。 僕も音楽の技術職を希望してはいても不況やコネのない状況で何とも見つかる糸口さえありません。自分が多芸であることが功を奏して今はまっとうなお金を稼いで生活していますが、なんというか今大学時代に付き合いのあった連中と会って一番盛り上がりそうな話がやっぱりそういう職探しや苦労話関係だろうと思います。音楽を諦めてフォークリフトで工事をしているヤツ、リムジンで偉い人を送り迎えする運転手になったヤツ、色々いますからね、一緒にあの頃僕と同じアンサンブルしていた連中でも。 あ~、なんかこんなことを書いているとアイツにもコイツにも会いたくなりますよ。ちょっとバーで語らないか?って誘いたいですよ。あの頃はそういうことしょっちゅうしていましたからね。色んなことをして生計を立てながらもずっと諦めずに音楽をやっている連中が、あの頃付き合いのあった人間の大半なんですよ。それがなんだか嬉しくて、それがなんだか悔しくて、また自分も負けるものかと頑張ってしまうんですよ。お互いに助け合うことはほぼあり得ないこの音楽という世界で、僕たちは深いところで関係しているんだと思います。
by Alfred_61
| 2009-01-07 22:04
| 日記
|
ファン申請 |
||