その世界では、人は死ぬとその場で切り花になって地に積もるのです。その世界の文化では、死とは恐れるものではなくて、人生のゴールと考えられているのです。そこにたどり着くことを人々は夢に見て、憧れて、生きるのです。 攻殻機動隊第一巻の最後、道徳的には決して間違っていない殺人を犯した主人公が絶対に勝つことの出来ない裁判に出廷し、証言します。社会の秩序と自然の真理とはやはり同じではなくて、真理に正直に生きる人間が必ずしも社会的に許されるわけではなく、場合によれば法律によって裁かれ殺されるのです。攻殻機動隊では、主人公は結局社会から離脱する道を選び、偽物の身体を使ってわざと社会的に犯罪を犯し、射殺されます。しかし本当の自分は別の所にいて、次の人生を歩こうとするのです。あのシーンは僕の凄く好きなシーンで、何度も読み返しました。 人のためによかれと思ってしたことが自分を社会的に貶めることに繋がることなんて、世の中には沢山あります。人生をダメにしてしまうきっかけが、実は自分が他人のために心から誠意を持って行った慈善行為だったりするんです。世の中はそんなものだと言うのは易しいですが、やっぱり独立した一個人として、社会という組織の中に生きることを生まれたときから強要された一個人として、やはり心の奥でそんな不条理な社会を認めてしまっては僕自身が人としてダメになってしまうと僕は思っています。 けれども、社会の摂理は所詮人の作り出した蜃気楼であって、自然の摂理にはどうしても逆らうことの出来ないポイントがあります。それはやはり死だと僕は思います。いくらとんでもない極悪人だとしても当人が死んでしまえば罪を償うとか保障とか賠償とかないんですよね。社会のルールで何かおかしいと思うのはそこで、死んだらその人にはもうプラスもマイナスも価値観さえも意味を持たなくなるんですよね。つまり、殺人事件が起こったらその被害者はもう賠償して貰うとか罪を償って貰うとかそういうことに全く意味を持つことが出来なくなるのです。それなのに、加害者には弁護士が付いて、服役すれば三食と仕事を与えられ、公共のお金所謂税金によって生かされ続けることが出来るのです。何か間違ってますよね。何か、おかしいですよね。 僕が死んでしまえば何もかも消えてしまうこの世界、ただ僕は死んだらまさに土に還って母なる地球の一部となるのです。死ぬと人は切り花になって地に積もる世界では、きっと犯罪や人同士の摩擦や怨恨なんかもまた違った意味でそこに生きる住人には捉えられているのでしょうね。僕が今書いている歌は、Flowersというタイトルで、それは人が死んだあとその場に積もった切り花の山のことを意味しているのです。
by Alfred_61
| 2009-02-19 17:59
| 日記
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