なんだか、さっきから昔書いた曲で一度も演奏されなかった曲達を一つずつMIDIで聴いてみてるんですが、う~んしかし僕は書いても報われない作曲人生をおくっているなあとつくづく思いますね。どれもこれも良い曲だと本当に思うし、けれども一度も誠意を持って完璧に演奏されたことがなかった曲達は、すでに30にも及んでいます。 一生報われない努力なんて、世の中には星の数ほどあります。頑張って仕事をし誰よりも速く沢山の仕事をする人間が、自分より年上の仕事が遅く失敗だらけの上司よりも低い給料を貰う、なんてことは世の中では当たり前なのです。例えば、僕がエージェントとして携わっているCEの仕事では、個々の仕事発注に対してそこにかかった時間で単価が変わってくるんですね。つまり、いくら速く作業出来る場合でもゆっくりダラダラと、休憩ばかりしながら働いた方がお金が良いのです。一日で二日分働いてしまえる人間には実は一日分の給料しか支払われず、その能力に対する評価は全くないのです。 僕はもうずっと前から報われないのに身を削り命を削って作曲をしてきたのです。誰にも認められず、誰にも心を込めて演奏されず、そうやって僕は作曲家としてやってきたのです。もしも神様がいるなら、この努力をせめて何らかの形で報いて欲しいと、ずっと昔から僕は神経質なまでに願ってきました。けれども、なんだかもう願うのは止めることにしました。頼るのも、止めることにしました。 僕は僕です。自分を報いるのは自分でしかないのだと、最近は特に強く感じます。自分の音楽を最もあるべき姿で発表するのは自分自身が演奏し録音し出版するしかないのだと思っています。演奏されることのなかった曲達を、暇を見つけてピアノに編曲していこうと思っています。そして自分で演奏し、自分で録音すればそれが恐らく曲達の為にも一番良いのだと思います。 バンドはまた別ですけどね。性懲りもなく上手くいくかも分からないアンサンブルに対して僕は見返りのない努力を続けています。今も新しい曲を2曲書いています。こんな自分を顧みて笑ってしまうほど僕はバカな作曲家だと思います。成功することも、認められることも望まず、ただ良い音楽を作ることだけに人生をかけているのですから。そんなバカ、言い換えればただの社会不適応者でしょうに。認められてこそ芸術なのに、残念ながら僕は今までの人生経験から認められることを放棄してしまいました。 一つ、自分にはこの世にとどまる理由があるのですが、今日聴いていた曲達を思うと、これだけの数の良い音楽をすでに残しているんだからもう僕の人生は満ち足りているし、これ以上生きても仕方がないんじゃないかと思えて来ます。きっとこれからも今までも同じだろうし、ただ変わっていくのは僕の音楽の崇高さだけ。思い返せばこんな思いをずっとずっと昔から僕は心に抱いていました。正直、僕には死が怖い人の気持ちが分かりません。突然呼吸できなくなって数分苦しんで死ねるなら、それって幸せなんじゃないのかな、と僕には思えるのですが。 毎日を、"明日死んでも良いように"、僕は生きてきました。そういう風に生きる時間が何年という単位になってくると、だんだん人生自体が満たされてきてしまうんですね。今更何を望むんだろうとか、今更何を後悔したりするんだろうとか、僕はそういうことを良く考えます。身近に死線をまたぎかけた人がいて、僕はその人を助けた張本人ですが、アレはきつかったです。あんなに他人を羨ましいと思ったのは久しぶりでした。僕もどうせならふとしたきっかけでどうしようもなくなって死ねたらと思います。 惰性で生きていない人間なんていませんよ、世の中には。みんな、時計の針は何もしなくても回るし、何もしなくても夜になるし朝にもなる、だから生きているんでしょう?本当に今という時間にすべてをかけて生きている人なんて、この世にはそうそういませんよ。逆に、時計の針が勝手に回ってくれるからこそ、それが止まる死という瞬間が怖くなるのでしょう。幸せな人間ほどそれが壊れるのが怖くなる。報われた人間ほど涅槃が近くなる。神の国は近づけり、ってやつですね。今という時間を自分を誤魔化して笑いながら惰性で生きるのはもうごめんです。バカらしい。
by Alfred_61
| 2009-05-14 23:55
| 日記
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