どうしても、若いときから成功ばかりしてきた人間ほどつまらないものはありません。何かをしようとしたらすぐにバックアップが付いて、多くの人が苦労することをこともなくやれてしまう、そんな人間の芸術が面白いはずがないのですよ。一度も失敗したことのない、一度も人生に傷が付いたことのない、そんな人が人を感動させる芸術を作れるはずがそもそもないのです。 失敗して、苦悩して、苦しんで、それでも負けずに頑張って、そうやっている連中ほど面白いものを作るのです。不幸な人間ほど世界の美しさも、本当の幸せも理解し感じることが出来るのです。元々幸せで、辛いことを知らないならその幸せな状態がスタンダードになるわけで、そこからでは日常の幸福感なんて分かりません。 だから、成功したくてもできない時期こそ、本当は芸術家として最も成長している時間なのです。それが長ければ長いほど、より崇高で素晴らしいものが作れるのだと僕は思います。10代で成功しました、20代でこれだけのものを手にしました、30代で最早社会のトップにいます、そんな人生の何が"偉い"のでしょう。42.195kmを2時間ほどで走りきってしまう人が、どうしてそれを6時間かけて走りきった人よりも"偉い"のですか。苦しい時間を3倍耐え抜いた人にこそ、本当の栄誉は与えられるべきではないのですか。 そう、人生は上手くいってしまっては本当はダメなのです。理想のようにことが進んで"偉く"なっていくことは、つまりは芸術家として最も大切な部分を欠落して生きていくということなのです。栄誉や金は、はっきり言って芸術の敵以外の何物でもないのです。 認められることが幸せなのではなく、苦しくても続けていくことが出来る人生が幸せなのです。何よりも自分自身に挑戦し続けることは、どうしても成功して裕福になって"偉く"なっては出来ないことなのです。起業をしても倒産を繰り返す人生の、一体どこがダメなのでしょう。挑戦を続けて失敗を乗り越えていく人にこそ、本当の成功が与えられるべきだと僕は思います。 今現在くすぶっている連中こそ、僕は一緒に音楽をしたい仲間達だと感じます。既に成功したスターとなんて、一緒に音楽をしたいとは思いません。以前にも書いたことがありましたが、僕は例えYo-yo Maが僕の曲を演奏してくれるとしても、僕は彼のためには曲を書くつもりはありません。だって彼がどうしても僕の曲を弾かなければならない理由がないからです。僕は彼を演奏家として尊敬していますが、彼とは絶対にコラボレーションしたいとは思いません。これは誰に言っても理解して貰えないのですけどね。僕のこの美徳、不成功者にこそ与えられる美というものを、どうして社会は理解出来ないのでしょう。
by Alfred_61
| 2010-05-05 22:04
| 日記
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