まだ音楽の表記に五線という方式を使っていなかった時代の音楽があります。僕たち音楽学校で学んだ人間は学校でそういう音楽も読めるように訓練されます。でも、作曲という視点から見ると、表記が古いから見た目でファンシーに見えることやその表記なりの癖なんか以前に、やはり古い音楽には素材そのものが良い音楽が圧倒的に多いのです。 何でもそうですが、何かをするときにはやっぱりアイデアやひらめきが良質でなければ良い結果は得られません。農家に貰った新玉ねぎで作ったオニオンスープは、やっぱりスーパーで売っているどれもこれも同じ形をしている玉ねぎで作ったオニオンスープよりもやはり一味も二味も違うものが出来るのです。 音をこねくり回す以前に良い素材をしっかり吟味して霊感する力がなければその人は作曲家としての特性を持っていないことになります。作り出すと言うことは何かの模倣をするだけで良かったり、外的なイメージで何かを表現したりするだけではどうしてもスーパーで買ってきた玉ねぎで作るオニオンスープにしかならないのです。ついでに言えば自分の手で汗水流して育てた玉ねぎを使ったオニオンスープにはやはり自分にしか作れない味があるのです。 作曲には論理で考える部分と、ある意味バカになって実践しなければいけない部分があります。自分が意識してしまったらおしまいなんですね。ここで言うと、美味しい素材を霊感する時です。アイデアを出すというのは道理では説明出来ない行為です。ビジネスのアイデアを思いついたりするのも究極的には同じことです。自分でなぜそれを思いついたのか説明出来てしまう程度のアイデアなんてきっと長い歴史上で誰かがとっくに考えていることですよ。 "歴史上誰もしたことのないことをする"というのは一見不可能なことのように感じられますが、そんなことはありません。逆に、世界にはまだ人間が踏み入れていない部分の方が多いのです。音楽でもそれは同じです。今まですべての調性音楽が作られた、みたいなことを思いこんでいる人がいますが、いやいや、まだまだ出来るでしょう。というか、自分で土を耕して苗を植えて玉ねぎを育てると、それってスーパーで売っている玉ねぎと同じものになりますか?同じにしようとする方が難しいでしょう。オリジナリティとはそういうものです。
by Alfred_61
| 2010-06-10 23:55
| 日記
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