僕たちミュージシャンは先ず自分のエゴで曲を書きます。曲が良いか悪いかは自分という物差しで測ります。次に僕たちが作った音楽を、綺麗なガラスのショウケースに入れて大衆の目に触れる場所に置き、それを見に来る人からお金を貰います。簡単に言えば音楽のビジネスとはそういうものです。 ジョンの兄さんとこんな話をしているのですが、まあポイントというのは作り手やミュージシャン自身である僕たちそれぞれが、音楽とビジネスのバランスの狭間にいて、どういう心持ちでそれを見、感じ、こなしていくかです。僕のようにそもそも自分の音楽をガラスのショウケースに入れることから嫌がるタイプもいますし、例えガラスのショウケースが自分の被る道化師の仮面になろうともそれは受け入れるというジョンの兄さんのようなタイプもいます。 僕はそもそも上等なガラスのショウケースに入れたら自分の音楽が死ぬと思っているので。僕の立っているポジションはほとんどボランティアの立場に近いです。僕は社会に対して音楽を表現することで奉仕をしているわけで、たいそうなショウケースに入れてそれを見に来る人達にお金を要求するようなことは根本的にしたくないのです。そこは順序が逆で、僕が理想とするのは先ず僕の音楽をショウケースに入っていようがいまいが見て貰って聞いて貰って、それからもし聴いた人がお金を出そうと進み出てくれるならそれはありがたく頂く、という状況です。 僕は自分を座敷乞食だと思っています。音楽を演奏して、その後に帽子を持って客席を回って、それぞれのお客さんに思い思いの金額を入れて貰えればそれで良いのです。まさか音楽を聴いて貰う前からお金を貰うなんてそんなもの自分に対してもプレッシャーになるし何も良いことはありません。今のところ僕は自分が願っている通り、先ず音楽を納品して後付でお金を貰う状況ばかりを経験してきました。それは幸せなことなのかも知れません。 僕の仕事は極端に言えば作品を作る所だけだと思っています。でも、音楽ビジネスの業界ではミュージシャンの作った作品に合わせて立派なガラスのショウケースを作る人、それをより沢山の人に見て貰う為に宣伝活動をする人、実際に見に来た人たちからお金を受け取る人、色々な役割を持ったプロがいます。でも、間違えてはいけないのは、ガラスのショウケースはあくまでもショウケースでしかなく、本当に価値があるのはその中に入っている作品なのです。もっと言えば、作品にしか価値はなく、その周りの宣伝作業や売り込み作業やその他の周辺業務には何の価値もありません。 じゃあ、作品だけで何がダメなのでしょうか。僕はただそう思うのです。良いものを作る技術と才能を持っているなら、ただ作ればいいのです。それがビジネスに乗るか乗らないかは、はっきり言ってしまえば二の次ですよね。良い作品を作れるなら、今の時代社会に公表する方法なんていくらでもあります。ガラスのショウケースを取り払って作品をそれ単体で変な飾りをなくし純粋に味わって、出来ることならそれを社会一般の人達に奉仕する、それの何がダメでしょうか。僕はそれって十分立派なことだと思います。
by Alfred_61
| 2010-06-30 23:55
| 日記
|
ファン申請 |
||