音楽とは言っても色々な種類があり、専門と言っていくとどんどん特殊な分野に踏み込んでいきます。タンゴなら何でも来いという人もいれば、キリスト教の礼拝で讃美歌を伴奏したり即興演奏をするなら何でも来いという人もいれば、ロックンロールだったら何でも来いという人もいるわけです。僕たちは音楽学校で基本的に幅広いことが出来るように訓練されます。でも、いざ社会に出てみるとそこは専門という看板だらけの世界。"何でも出来る"はマイナス要素であって一つのことに特化しているのが良しとされます。 作曲でも、オーケストラを駆使してダイナミックな映画音楽が作れるという専門の人もいれば、電子音楽でヒーリングミュージックを専門としている人もいれば、ポップな音楽を作ることを専門としている人もいます。でも、ここに書いたいくつかの専門は、すべて社会に既存するジャンルや分野ですよね。少なくとも、"自分にしか出来ない演奏が出来る"という人は一体この場合どの専門分野に分類されるのでしょうか。 何にも属さずただ究極的にオリジナルである音楽を演奏したり作ったり出来る人、というのは言い換えればどのジャンルや専門にも所属することが出来ないはみ出し者ですよね。"普通"でなくなればなくなるほどその人の個性は社会に認められにくくなるんです。少なくともジャンルや分野にきちんと分類できるということは一般人にも理解が及ぶ範囲のことをしているわけです。ただ、一般人が理解出来ないからといってそのスタイルや作品や芸術が一般的な専門より劣っているかというとそうではありません。 ヴァイオリンの演奏でも、オーケストラで弾く専門の人、ソロで弾くのが専門の人、民族音楽を弾くのが専門の人、古楽を弾くのが専門の人、路上で即興演奏をするのが専門の人、色々いるわけです。これを人生という一括りの中で考えると、一体自分の"専門"とは何なのか、分からなくなります。そもそも、個人個人の本当の"専門"というのは社会の分類やニーズに沿っているわけが最初からないのではないでしょうか。僕はそう思います。 ファン・ゴッホのように生きているときには見向きもされないあまりにも奇抜でオリジナルな個性が、死んでから何年も経って広く認められるようになることもあります。芸術家なんてものはそういう"専門"なんじゃないでしょうか。他人に理解出来ない、通念にはまらない型破りで偏屈なことをしているのが芸術家でしょう。僕はもし「貴方の専門はなんですか?」ときかれると、きっと「自分自身の音楽です」としか言えないと思います。僕は僕の音楽を作る専門家です。僕は一般的なアニソンとか歌謡曲とかヒップホップとかを作る専門家ではありません。そりゃあ作れと言われれば作れますが、僕の専門はそこではありません。 何というか、結局仕事として音楽をやってしまったらおしまいだと誰かが言っていたのはそう言うことなんじゃないかと最近思います。つまり仕事になる、ということは社会のニーズに応えているわけで、そこには純粋なオリジナルではどうしても噛み合わない部分があると僕は思います。会社が求めているからそういう仕事をする、というのは専門というか、ただ社会のニーズに合わせてまるでそれが自分であるかのように着飾っているだけですよね。別にそれが悪いとは思いませんが、なんだかそれをしていたら自分のアイデンティティはどんどん見えなくなっていくように僕には思えます。本当に自分が"専門"だと言える自分になるのは簡単なことではないですね。実際にそんなことしてしまったら社会不適応者扱いされますからね。
by Alfred_61
| 2010-07-11 21:48
| 日記
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