もうぼちぼち時効だと思うので書きますが、実は今月頭に広島にあるとある音楽関係の企業へ向けて、僕を人材コンサルタントがスカウトした、ということがありました。それで今月中頃にやっとアポを取り付けて先方企業社長と面談をするために、仕事を休んで単身広島まで行ってきました。結論から言いますと、今回はお互いの方向性や意志が合致せずに、先方も採用を見送り、僕の方もその結果を待たず件の人材コンサルタントに丁重にお断りを伝えました。 今回は一応ハイクラス求人に含まれるものだったのですが、はっきり言ってしまえば"会社のこれからを作っていける事業企画運営を任せられる次期役員候補"を募集していたはずのその会社は、僕が提案した企業改革をことごとくお金がない、時間がないという建前上の理由をつけて受け入れなかったのです。つまり、会社は今までの実績や現在のあり方をあくまでも保持していくことに意志があり、例えリスクを背負ってでもこれからの時代に適応する為に会社を変えていくことを許容することが出来なかったのです。 僕としては会社内から反発が出たり造反が出たとしてもその後10年を見越した改革を行うつもりでした。しかし組織相手に僕がそういう話をすると必ず出てくる"そうは言っても社員を食わせていかなきゃならないから"という言い訳で最終的には此方を否定する形になったのです。会社が変わりたくないなら、僕が行かなければならない理由もない、それが僕の面談後の感想でした。 嫌いな表現ですがつまり会社の求める人材と此方の提供できるリソースが噛み合わなかった、ということです。でも、よく考えてみれば一般企業の面接なんかでも、僕は基本的にそういう噛み合わないケースを多く経験しています。つまり、例え採用されたとしても此方も勤務上実力をもてあましたり不得手なことばかり押しつけられたりするわけです。今回の広島の例で言えば、僕がその会社に入って改革を提議したとしても、会社が出る杭を打つというわけの分からない状況になっていたわけです。 僕は面接や採用試験に"落ちる"というのははっきり言って自分にとってはポジティヴなことだと感じています。だってきちんと相互に方向性を話し合った上で合意出来なかっただけなのですし、言い換えればそれによって自分という個性がどういう方向に向いていて、何が出来て、これからどうすればいいのかが他者を知ることで見えてくるのです。どんな企業の面接にも受かる、というのは逆に言ってしまえば自分にしか出来ないことや組織を良くしていけるほどの革新力がない、という意味なのではないかと僕は勝手に思うのですが。まあ、それが良い悪いの話ではないですけどね。革新力なんて言い換えれば組織の規律を壊す危険因子ですからねぇ。 僕が音楽で応募してきたオーディションの類も同じです。僕にどの会社のオーディションにも受かる性質がある、ということは言い換えればどんなものにでも柔軟に変化することが出来、さらに言い換えれば自分はこれという芯の通った個性がない、ということです。要は企業が欲しているものを此方が提供できるか、此方が提供できるものを企業が必要とするか、此方が個性として持っているものの価値を企業が評価することができるか、ということです。 なんだか失業率が上がっているこのご時世では面接に落ちることが"負けること"みたいなネガティヴなイメージがありますが、負けることの何が悪いでしょう。それは次への道しるべであって、決して自分を卑下する理由ではありません。単純な話です。普段から自分が社会に対して提供できるリソース、言い換えれば何かの特殊技術や知識を培い、後は自分が持っているリソースを必要としている企業や個人やあらゆる可能性に対して自発的にアピールしていけば良いのです。負けることは自分を豊かにするチャンスだと僕は思います。
by Alfred_61
| 2010-08-19 23:55
| 日記
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