大学時代にはやっぱり世界中から学生が集まってくる音楽学校だけあって絶対音感(固定)を持っている友人が何人もいました。しかし、以前ここにも書きましたがオーケストラのチューニング基準であるA=440kHzというのは、実は時代背景によって歴史的には変化してきたものであっていつの時代も普遍であったルールではないんですね。だから古楽のアンサンブル、コンソートなんかでは基準のAを半音くらい低くチューニングしたりするんです。絶対音感(固定)を持っている人間にとっては半音低い音でみんな会話するわけで、頭が混乱するとかいうのを聞いたこともあります。 しかしまあ、当時もそういう絶対音感(固定)を持つ連中と話をしていたことですが、はっきり言ってピッチが正確であるかどうかを聞き分けることが出来る能力と、音楽を聴いて"良い"と感じる感性とは全く別のものであって、時にはピッチ(音程)にばかり気をとられる為に絶対音感(固定)が邪魔をして音楽を愉しむことが出来ないというジレンマさえあるそうです。何とも可哀想な話です。どうでもいい話ですが僕は絶対音感(相対)の方なので彼ら(固定)の苦悩は全くわかりません。 簡単な話です。ピッチ(音程)が合っている=良い、という方程式は存在しません。さらに、ピッチ(音程)が合っていない=悪い、という方程式も存在しません。そのポイントに関していくら掘り下げたり研究したところで、そこに音楽のコアとなる何かを見つけることは出来ません。人が音楽を聴いて美しいと感じる感覚に、ピッチが合っているか合っていないかは関係ないということです。 音痴という変な言葉が日本語にはありますが、これも簡単に意味を取り違えてしまいます。音に対して良いか悪いかわからないまま音を出す人が音痴なわけで、別にピッチが合わない人=音痴とは必ずしも言い切れないんですよね。音に対する感性つまり美感が鈍い為に、自分が歌っている音が気持ちいいか気持ちよくないかもわからないということです。Florence Foster Jenkinsはある意味音痴というよりも音に対する美感が残念な人なだけで、これはこれで当時のニューヨークではとても愉しまれたわけで、彼女はエンターテイナーとして見事な成功者だったわけです。 今の時代にFlorence Fonster Jenkinsみたいな歌手はあり得ないんでしょうね・・・何というか社会一般が"良い"音楽とはなんぞやという偏見を持ちすぎです。今回はピッチに関することだけ書きましたが、音楽は別にピッチだけで構成されているわけではありませんからね。他の構成要素も出してくるとなんだか嫌になるので止めます。他人と感覚を共有する以前に自分自身が何を感じるかも純粋に感じられないなら、そもそも音楽を愉しむことが出来ないわけで、別にそれが"悪い"わけではないと僕は思いますが残念だとは思います。どっかのおっさんが言っていた"Chance and Indeterminacy"(偶然性と不確定性)が音楽にもたらす影響、なんて今の時代には逆行した考え方なのでしょうね。
by Alfred_61
| 2010-10-30 17:56
| 日記
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