音楽とはそもそも人の内より溢れ出るものであって、楽器を奏でたい欲求や歌を歌いたい欲求、作曲をしたい欲求、そういうものは理性でどうこうできるものではなく、そして見返りを求めるような"仕事"として行われるものではないと僕は考えています。結果としてお金が貰えて生活が出来る、というのがまあミュージシャンという名の座敷乞食ですよ。 僕には世界にたった一人ですが、僕の曲を心底理解し、本当に僕の音楽が好きで演奏したいと言う演奏家がいます。コイツは本当のミュージシャンで、僕は彼に新しい曲が出来る度に楽譜とMIDI音源を送るのですが、大抵返ってくる言葉は"man, this piece kicks ass!"とか、言葉遣いは汚いですがもうこれ以上なく喜んでいるのが手に取るように分かります。そして、大概は自分の楽器でその曲が弾けるか試したりアレンジしたりしてみたいと言い出します。 人前で演奏する目的ではありませんよ、もちろん。そりゃあもしかしたら延長線上の未来にそういう機会があるかもしれませんが、決して彼は"何ヶ月後に演奏会があるからそのために"と考えて僕の曲を演奏していないのです。 言いようですね。何とでも言えます。「そんなものでは食えないんだから意味がない」とか、「それはプロじゃなくてただの趣味や娯楽でしょ?」とか。音楽学校に彼も僕も通っていましたが、学校にいるとクラシックの演奏家はみんな課題であるリサイタルや発表に向けて曲を練習します。それがあまりの量なのでそれ以外に個人的に好きな曲を練習する時間がないんです。だから、基本的に自分たちがレッスンに持っていかなければいけない曲を練習することが最優先で、その次に僕たち作曲科生の曲を適当に弾いてくれてたんですよ。 人前で演奏することを目的とした練習・・・そこに楽しみを見つけられる人だからきっと演奏家としてプロになれるんでしょうが、心の底から弾きたいと思うわけではない曲をしっかり練習して発表する姿は僕からすると本当に尊敬出来る所でもありますし、同時に痛々しく感じる部分でもあります。ああいう風に音楽を続けていたら、きっと根本的な"音を楽しむ"という感覚や気持ちをいつの間にか忘れていて、忘れていることにさえ気づかないようになってしまうんじゃないかと、僕にはそう思えるのです。 僕たち作曲家にも"書きたい!"と思えなくても書かなければいけない、みたいな意味の分からない歪んだプロフェッショナル像がありますが、演奏家はもっとキツイと僕は思っています。でも、最初の言葉に戻りますが、そもそも"演奏したい!"という気持ちが自分の内からわき出てそれをどうにも出来なくなるから音楽を演奏する、というのが音楽のあるべき姿だと僕は思うんですよね。ぶっちゃけて言ってしまうと、現在一線で活躍していたりコンクールに入賞する人たちの多くにどうしても欠如しているように僕が感じるのが、この"弾きたい"気持ちです。音符をすべて完璧に弾いて、リズムも寸分のズレなく、でも何か足りない、どうもここ最近そういうことを敏感に感じるようになりました。 バッハやショパンの曲に対して演奏家が"弾きたい!"と思わずに演奏しているのが感じ取れるのに、自分の作った曲を誰かが演奏するときなんて、まあ言わずもがなです。だからでしょうか、ここ数年自分が自分の曲を演奏するアンサンブルに含まれているようなものを多く書くようになったのは。僕の曲を"演奏したい!"と思わないなら、弾いてもまあ響きませんよ。当たり前のことですが。というか、本物の演奏家は弾きたいと思えるように自分をコントロールすることが出来る器用な人なんだと僕は今も思ってるんですが。
by Alfred_61
| 2011-03-08 17:38
| 日記
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