音楽という目に見えない形態の芸術を手がけていると、色んな場面で思いもよらない事に出会います。先日初演された僕のオルガンソロ曲Edenについて、演奏会に同席していた仲間の作曲家の一人が今日僕に興味深いコメントをしてくれました。 彼は献身なモルモン教徒(モルモン教:アメリカユタ州を中心として広がるキリスト教の異端派)なのですが、Edenという曲は受け入れられないというような事を言ったのです。僕の付け加えたプログラムノート(演奏会のプログラムに作曲家が記述する初演曲の説明)にはかなりキリスト教としてもきわどい内容の事が書かれていました。中身は死後にもしSoul Mateが天国の入り口で待っているなら、死んでその人に出会う瞬間は恐らく森羅万象(この場合は神の意志と表記しましたが)を理解するとてつもない感動が心から溢れるのではないか、という物でした。 僕が表現したかったのはSpiritualな部分であってReligiousな部分ではないのですが、どうも彼にはその魂の部分まで触れることさえ出来なかったようです。それの理由はなんと言ってもこの題名を始めとする僕の表現した言葉の問題なのです。もしこの曲が『朝の情景』とかだったら彼も僕の表現する魂の部分を理解できたかも知れません。 例えばポップ歌手やアイドルでも、名前の美しさや歌詞の美しさばかりが人の判断基準になり、音楽はどうしようもないという人が沢山いますが、ああいうのも音楽を「曲げて」表現している代表例だと思います。僕は自分の正直な気持ちを表現しただけで、曲げたつもりはありませんが、音楽が言葉に邪魔をされて人の心に届かないというケースとしてはとても良い経験になりました。
by Alfred_61
| 2005-04-27 14:07
| 日記
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