もう、正直を言うと自分が恐らく手の届かないであろうことに必死で手を伸ばして挑戦し、届いても届かなくてもそれで自分が成長できればいい、という感じのことは次のプロジェクトに持ち込みたくないんです。どこで何をかぎつけたか、テラホーテ市のトニーからジョンに電話があったそうで、僕とジョンがまだコンタクトをとって何かをやろうとしているのか、そんなことを尋ねてきたそうです。ジョンはさすが僕の相方だけあって、タンクには適当に誤魔化したそうです。 タンクの独創性やミュージシャンシップにどうこう言うつもりはありませんが、まあ恐らく彼と僕たちでは音楽に対して考えていることも信じていることも求めていることも違うのだと、大学を出てから強く感じるようになりました。彼が僕たちのプロジェクトに参加しても、おそらくはジョンと僕の作る世界に対して違和感やついて行けない感覚しか感じられないと思うのです。 例え世界的に有名な音楽大学の音響技師として年収800万とかのポジションに来ないかと誘われても、僕にはどうしてもその世界に違和感しか感じられないのです。そりゃあそれは僕に"出来ること"かもしれません。でも、それは僕のいるべき場所ではないのです。社会にある座席というかポジションでも、自分がそこにただ座っていることなら出来ます。自分以外のすべての人がそれに違和感を感じていようが、自分がそこに座っていることをストレスにしか感じなかろうが、そこに"座っているだけ"なら誰にでも出来ます。 僕のベースのチューニングは低い方からD-A-C-Gという変則になっています。自分の音楽にはこのチューニングが合っているからという理由と、もう一つは自分の手にこの音の配列がしっくり来るからなんですが、このチューニングに対して僕はそれなりに特別な感覚を持っています。ただ"他人と違うことをする"為に使っているのではなく、このチューニングはあくまでも自分が最もこの楽器を弾きやすいから使っているのです。 楽器のチューニングというのは楽器そのものの"鳴り"を変えてしまうので、こんなチューニングで一般的な機能和声を弾いてもあんまりいい音はしません。それはすなわちギターが一般的なチューニングならこのベースとは音の"鳴り"的に合わない、ということです。社会一般に合わせるならばチューニングも一般的である必要があるのです。楽器自体も一般的な弦のテンションに合わせてあるので、僕のようなチューニングを日常的に使う場合にはそれ用にネックを調整し、場合によればフレットもそれ用に多少すり合わせる必要があります。 僕にとっては等身大で自然なことでも、元々売っている"一般用"に製造されている楽器には"良くないこと"となるのです。でも、ジョンと今練っているプロジェクトは本当に自分が自分でいられる最高のシチュエーションだと思います。この話自体には、恐らく参加したいと言い出す人間が他にもいるでしょうが、僕は今の関係者以上に人を巻き込むつもりはありません。今回の話に僕もジョンもある意味人生をかけています。確実に自分たちの理想を具現化するには今のメンツがベストだと二人とも信じています。可能性にかけるのは若い世代がやれば良いことですし、僕たちはもうキャリアも経験も来るところまで来ていますから、今は自分たちに出来る最高のもの、を作るのがベストだと思います。 今はとにかく時間が欲しいです。一日が48時間あれば良いのに・・・というのは僕の大学時代の口癖でしたが、実に4年ぶりにそんなことを口にしました。仕方がないので睡眠時間を多少削って少しずつでもやっていくしかないんですけどね。これはもう大学時代の生活と変わりませんが。
by Alfred_61
| 2011-04-30 23:55
| 日記
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