人生はそれぞれに色々なことがあります。死んでなくなる命もあれば生まれる命もあるのです。そんな循環の中にいて漠然と自分の周囲に流れていく物事一つ一つは、自分という座標軸からどういう風に捉えるかで全く意味が変わっていきます。意味、ということもそうなのですが、自分自身が感じる人生に対する感覚も変わります。これは自分以外の誰にとっても意味のないことですが、自分にとっては実はかなり大きな意味があると僕は思います。 何度かここに書いてきましたが、僕がアメリカの音楽学校にいた頃、友人や学友が飛行機事故で亡くなったということがありました。残された友人や恋人達がどんな風に何をしていたかを僕はある程度近くで見ていたのですが、結局の所僕たちは自分に出来ること(その頃はその場にいたすべての人に出来ること=音楽でした)をするしかないのだと、なんだか変な気分でそう感じたのを覚えています。 事故が起こって、再発防止とか何故起こったかの責任だとか、そんなことはそれが"起こった"という変えようのない事実という大きなものの前では本当に些細なことでしかありませんでした。何というか、あの事故は僕にとってその先に自分がやっていく音楽を大きく変えたと思います。単に、あの頃僕は音楽を作る上で"論理"を捨てました。だってそんなものは"実際の音"という絶対的事実の前にハナクソ程度の意味しかなかったのですから。 事実は事実として僕という矮小な存在がどうこう言ったところで変わりはしません。それを悲しいことだと思うかどうかは個人の自由だと僕は思いますし、自分自身の中でなら何を考えようと自由だとも思っています。それは人生に起こることのすべてに言えると僕は思います。それこそ友達が結婚することだろうが、知り合いの会社が倒産することだろうが、今日雨が降っていることだろうが、それらは自分がどう捉えるかで何色にでも変わるものだと思います。 僕は僕が考えるように人生を見ていますし、それは誰かから押しつけられたり誰かを意識して無理矢理考えていることではありません。"前向きに"と言うとなんだかチープな気がしますが、後ろを向くか前を向くかも個人が勝手にすればいいと僕は思います。ただ、僕自身は悲しくて辛くて生きるのではなく、美しいと感動しながら生きたいと思うのです。
by Alfred_61
| 2011-11-09 23:55
| 日記
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