僕自身はとにかく何かにカテゴライズされることがそもそも出来ない、言い換えれば社会不適応者だと思います。友人夫婦の結婚式でヴァイオリンを弾いたときのことを、やっと冷静に思い出せるようになってきました。思い返してみると、ヴァイオリンを演奏した後に僕と普段から付き合いのない人々の態度ががらっと変わったのです。 テーブルについて食事をしたり会話をしたりしている僕とヴァイオリンを弾いている僕は全く同じ人間なのですが、人によっては突然僕への距離を縮めて来たり、逆に何か珍しいものでも見るように僕の顔を見るようになったり、それはまあ色々でした。僕自身は友人夫婦へ対しての想いを彼らにだけ向けて演奏したつもりですが、音というのは否が応でも耳に入ってくるもので、それが周囲の人々に強く影響することを実感しました。 普通に日常を"一般的に"生きていると、確かに言葉や文章以外での自己表現に触れることはあまりありません。僕自身も普段は音で自己表現が出来るということを主張もしなければ、逆に極力隠すようにして"普通の"人間として振る舞っています。でも、実際僕は"普通"から見ると非常に遠い世界に自分を置いているわけで、その距離を僕個人は近いと感じていても自分以外の人々にはもう想像もつかないほど遠く感じられることもあるのです。 僕はクラシックの演奏家でも作曲家でもありません。僕はビジネスの為に音楽を作る商業作曲家でもありませんし、依頼に応えるスタジオミュージシャンでもありません。じゃあ僕は一体どんな音楽家なのか、というとそれは自分でも分かりませんし、自分で分からないということはきっと自分以外の人からするともう異国人のようにでも感じられるでしょう。 昔から僕は何をやっても角が立つことばかりでした。努力をして社会のシステムやカテゴリーにとけ込もうとしても、結局ははじき出されて自分で自分の場所を作るしかありませんでした。それは今もこれからも同じことです。遠い世界と"普通の"世界との往復は僕の生きる道なのだと思っていますし、その距離を行き来できなくなった時に僕はこの世からいなくなるのでしょう。 情報に溢れた現代では過去の記録や歴史を焼き直すことが横行しそれが文化になっています。それが良いか悪いかは別として、それは間違いなく現代の文化なのです。そこにいて、僕は歴史にないことしかすることが出来ないのです。こんなにどうしようもない不適応者はないでしょう。社会に逆行するつもりはなくても、前へ歩けば勝手に道を外れるのです。 結局一人きりで誰もいないところを、何のルールもなく自分が決めた目的へ向かって進むことしか僕には出来ません。やっと今年になって音楽人である僕に"普通の"成功を求める人もほとんどいなくなりました。自分の背負ってきたものは決して軽いものではありませんでしたが、今年一年でそれらはかなり肩から降ろすことが出来ました。何でしょうか、ものすごく久しぶりにアメリカの自宅へ帰ってきたら埃一つ積もっていなくて、まるでそこは何も変わっていないけれど自分自身が変わったことだけが漠然と感じられる、そんな気分です。 曲作りは少しずつですが進んでいます。SOUND GATE ZEROのPiece 4は年内には仕上がるでしょう。しばらくは、こちら側の世界を拠点に生きる、昔の生活に戻ります。
by Alfred_61
| 2011-11-29 23:55
| 日記
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