情報は手軽に手に入る物だと当然のように感じられる時代になりましたが、その一方で例えばオンライン上にある情報が世界のすべてであるような誤解を生んでいるのも事実だと僕は思います。芸術の世界は特にそうだと思います。 何月何日にどこどこでライヴをするので見に来てください、という告知は、なんだかもう僕にとってはどうにも性に合わないことに感じられます。まあ、そんなことが理由で昨年度は僕の活動に関してどこにも一切事前告知はしませんでした。事後としてここに記事として書いたことはありますが、ここに書いたこと以外にもいくつか人前で音楽を演奏したり、誰かに対して曲を書いたりもしました。ただ、それをわざわざ情報として「こんなんやってますよ!」とメールマガジンのように一斉送信したところで、それが受け取る側にとって何の意味があるのか考えてみると、やっぱり僕にはこういうことは性に合わないと感じます。 OGINOの曲だから聞く、という風にさえもなんだか自分の音楽を聴いて欲しくなかったりします。本音ですが。どこの誰かも分からないような状況で、望んだわけでもなく偶然そこに居合わせたからという理由で耳にして貰う、そんな風に聴いて貰う方が僕には気持ちが良いですし、なんだかしっくり来ます。 去年体調の理由で一度も会えなかった友人2人と新年会をしましたが、そこで僕が中之島バラ園で暖かい時期にだけ不定期にヴァイオリン演奏をしているという話をすると、友人の一人がすぐ近くに職場があるからやるなら連絡してくれれば見に行くのに、と言ってくれました。その言葉は非常にありがたいのですが、僕は今後も中之島でヴァイオリンを弾く時に誰かに「今から弾きますよ~」と連絡するつもりは全くありません。僕がそのポリシーを守っている限り、僕の演奏を聴くためにあしげにバラ園に通うような人は絶対に出てこないからです。 こんな時代だからこそ、僕は自分の音楽活動の情報はほとんど事前に公表しないようにしています。そもそも、やり終えてもどこにも「やりました」と公表しないことも沢山ありますしね。記録なんてクソ喰らえですし、僕は自分のポートフォリオを分厚くするために音楽をやっているわけではありません。そもそも、ポートフォリオって何ですか。馬鹿馬鹿しい。 必ずしも"ミュージシャンとはこういうもの"という枠にはまって生きなければいけないはずはありませんよね。僕は僕らしく生きるだけです。単純なことです。僕の生き方は誰かに認められたり社会の大きな組織や団体に評価支持されて色々と"与えられる"のではなく、自分の力でそこへ向かって進み、それを手に入れる、というだけのことです。だから、今僕がどこで何をしているのか、Sandstrom先生を除くアメリカでお世話になった方々には一切報告していませんし、これからもするつもりはありません。今週末からカリフォルニアに行くことなんて、なんで向こうの誰かにいちいち言わないといけないんですか。言うはずないでしょう。面倒くさい。 僕が今回ジョンと作るものとか、まあ僕が死んで何十年も経ってから誰かが勝手に引っ張り出して楽しめば良いと、そんな程度にしか僕は考えていません。ああ、もうジョンに話したいことが山のようにありますよ。なんだか去年一年間押さえ込んでいたものが吹き出しているように、最近は音楽に関して強く感じることが多くあります。早く向こうに行きたくてウズウズしています。
by Alfred_61
| 2012-01-24 23:55
| 日記
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