僕が音楽を始めた動機は色々ありました。ただ、色々な国を訪れ、色々な人と知り合い別れ、悲しいことも沢山見てきて、とある時期から僕は自分がやることは他の何物でもなく音楽なのだと確信した時期がありました。 中学生に成り立ての頃にすぐドラムでバンドのステージに立ち、それ以降は音楽は人へ対する強い感情表現であり、それは刃にも似た鋭い物であって時にはそれが聴く人の人生を揺り動かすほどの力を持つこともあると信じ、全力で肉体の筋肉の躍動による音表現をしてきました。高校生頃の僕のピアノはひたすら超絶技巧曲をとんでもないスピードで弾く(というよりは鍵盤をたたきつける)ものでした。もちろん、ドラムにおいては言うまでもありません。 しかし、それが喧嘩や殴り合いに美徳を覚える感覚や、ともすれば武士道騎士道のようなものであったことを、自分自身が死というものに限りなく近づいたことで知る、ということが僕の人生ではありました。それも20代前半での出来事です。死がすぐそこに見えた時、武勇や栄誉や美徳が見事に根底から崩れていくように感じました。 平家物語に敦盛最期という話があります。この話を読んで、僕は何故か敦盛の想いを考えたのです。それはもう中学生くらいの古典の時間の話ですが。敦盛はそりゃあ戦に出て陣を指揮するなんかよりも音楽をやって生きていたかったでしょう。けれども彼の生まれた時代、家柄、何をとっても彼が本当に生きたかった生き方を全うすることが出来ない状況だったのです。それでも武士としての誇りと共に最期を迎え、それで彼の魂は一体何を感じていたのでしょう。それは本当に能の世界などで表現されているような、敵討ちであったりするのでしょうか。 彼が最も憎んだのは時代だったと思います。けれども、そこをいくら憎んだところで矮小な自分に世界を返ることなど到底不可能で、与えられた世界の立場で精一杯生きるしかなかったのです。僕は自分の死を間近に感じた時に感じました。敦盛の時代には戦があった。僕の時代には生き死にには関わらなくとも別のしがらみがある。でも、僕の生まれた時代には少なくとも誰の目にとまらなくても、誰かに認めてもらわなくても、音楽をして生きていく方法がある。それは幸せなことだと、確かに僕は感じたのです。 誰かに勝つことに一体何の意味が僕自身の中にあるのか、それを考えると何もかも捨てて大学卒業と共に日本に帰ることになんの未練もなかったのです。音楽上のコネも繋がりも何もない国、僕の場合はそれが祖国でしたが、そこに移り住み今まで積み上げてきた地位も名誉も栄誉も人との繋がりも何もかもから解放されて自分の音楽を探そう、僕はそう思っていたのだと今から振り返ると思います。 夜に敦盛の亡霊が自分の最期の場所で笛を吹く、なんて能になっていますが、僕は夜にほとんど人気の無くなった日本屈指の大都市のど真ん中にあるバラ園でヴァイオリンを弾いています。道行く人を呪う為に笛なんて吹くでしょうか。僕は単純に、敦盛は生前やりたかったことを亡霊になってやっているだけだと思います。彼がやりたかったことと今僕がしていることは似ているのかも、となんとなく昨日バラ園の空を眺めて珈琲をすすりながら感じました。
by Alfred_61
| 2012-05-03 23:55
| 音の考察
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