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ただの気まぐれなのですが、ジョンに送るために僕の音楽的日常を録音していたら良いものが録れたので久しぶりに海外の知己との交流の為にネット上に公開しています。 こんなことをしていてもつくづく感じますが、僕は本当に数的評価が大嫌いです。何がそんなに数字に意味があるのか分かりませんが、野球でも何でもとにかく何連勝だ日米通算なんたらかんたらと、その数字に一体何の意味があるのか全く良く分からないニュースの記事をここ最近バカの一つ覚えみたいにあちこちで見かけます。数字での実績提示はより多くの専門外の人々に対して使える理由付けとしてとても大きな力を持っていて、ビジネスの世界ではこれが出来なければその案件を成功させることも賛同者を募ることも出来ないとさえ信じられています。 しかし、数字は所詮数字でしかなく、その最も後ろ向きなポイントはその通り数値というのは見込みではなくあくまでも過去の記録に基づくものであるということなのです。我々芸術家にとっての活動理念はあくまでもこれからの時代や新しい文化を創作することにあるわけで、100羽の見違えしない鶏の中で突然金の卵を産む1羽になることを目指しているわけですから、過去に金の卵を産んだことがある鶏以外は価値がないと即断されては最早そこに文化も何も育つはずがないのです。そんな社会に対して自分が例え金の卵を産んだとしてもそれを発表することも公表することもしたくない芸術家が世の中に溢れても、今の日本社会では文句を言う筋合いはないと僕は思います。 野球でも、数字に出ない名選手なんて歴史を見ても現代を見てもいくらでもいるわけで、僕自身どちらかというとそういう選手が凄く好きだったりします。そもそも、見ていて本当に心躍るというか、楽しいですからね、そういう選手は。僕の好きな阪神タイガースにも一人絵に描いたようなそういう選手がいますが。人となりや応援するポイントというのはプレーを見ていれば自ずと伝わってくるものであって、それを数字で理由づけたからその人を応援するべきだとか応援することを肯定するとかそういう価値基準を当たり前のように押しつけるのは、本当に虫酸が走ります。 音楽でコンクール何位とか世界ナンバーワンとかもう下らない以外の何でもありません。本当の音楽は比べるものではなく、それぞれの個性をワインの銘柄のように楽しむものだと僕は考えています。数的評価は別に自分の中で付ければいいわけで、それを社会にアピールしてまるで評価基準を持たない人々を扇動するようなことを続けていては、いつまで経ってもこの国の音楽文化は発展することはないのだろうと僕は思います。それはそれ、これはこれ、本当に単純なことなんですけどね。 ヴィルトゥオーソの時代でさえ、ヴァイオリンを例に挙げてもクライスラーは技術は下手でもクライスラーにしか演奏できない音楽がそこに確かにありました。昔はそういう風にみんな音楽を純粋に聴けていたのに、いつの間にか音を楽しむ感性そのものが世代の進む人間という種には失われてきているのかも知れません。もう悲しいとしか言いようがないのですが。 少なくとも、僕は自身の音楽活動で数的評価を受けにくい作品を発表していこうと努力しています。数字では表現できないけれどもすべての人が感覚出来る"良い"という価値観を目標としているのですが、まあそれも相対的なものなので勝手にすべての個人が自由に感覚すれば良いのではとも思っています。自分にとって大事なのはそこを目標とする意識を持つことであって、それを達成することではないと、これでも芸術家の端くれとして理解しているつもりです。 ■
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by Alfred_61
| 2013-12-18 23:55
| 音の考察
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