人は何かが欲しいと思うものです。人は何かを手に入れるとまた別のものが欲しくなるものです。人は一度手に入れて自分にとっては価値がなくなったものでもそれを失うと自分の存在価値がなくなるようで不安になるものです。人は一度大事にしていたものを失うと取り戻したいと考えるのですが、初めてそれを手に入れたときのように膨大な努力をもう一度することが出来なくなっているものです。 天は二物を与えずと言いますがまあ本当にそういうものなのだと思います。そもそも価値観の指標となるものが人間社会には一つではなく複数存在するので、たとえ今自分が立っている指標を完全制覇したところで角度を変えればもっと手に入れなければいけなくなるのです。割と広く知られている例ならば、とてつもなくお金がある人には夢がなく、とてつもなく才能があって夢もある人にはお金がない、というものがあります。本当にそうだなと僕は今までの人生で出会った人たちに対し強く感じました。 自分の立っている指標では安定した職を目指す多くの人たちの中で特殊なお金の儲け方をしてそれがより優れた意味を持っている人もいるでしょう。恋に憧れる仲間の中で一人だけ誰よりも早くから恋人がいてそれがステータスになっている人もいるでしょう。競争相手が沢山いるからこそその中でトップになってそれがステータスになっている人もいるでしょう。でもそれは一つ目の物でしかなく、それを持っている人ほど何か生きる上でとても重要なことを一つ持っていなかったりするのです。 僕は、そも人の幸せとは自分の内にのみ存在し、それは他者と自分の間には絶対に存在し得ないものだと信じています。たとえ他者に勝利したとしても、自分の中でそれを本当に幸せだと感じているのかを知ることは割と難しいことだと僕は思います。誰よりも優れていても、そんな自分を本当に幸せに感じていなければいつしか自分の人生が空しいものなのではないかと思ってしまうでしょう。一般論的な幸福を自分の幸福であると納得できる人ならばそれが良い悪いという話ではないのですが、それが自分の幸せであるかのように自分自身に無理強いしているならば結局いつかは心が折れてしまうのです。 自分を知ることが、自分にとって何が幸福なのかを理解することになると僕は考えています。しかし、自分を知る、なんて世界を知るというくらい果てしなくそして難しいことだと僕は思います。自分以外の事象を知ることは自分を知るためだと僕は考えています。結局は自分の中の世界を知るためにすべてがあるのではないかと。 お金も才能も手に入れようと思って手に入るものではありませんが、手に入れたからといってそれが幸せに直結するとは限りません。自分の世界ではお金も才能もゴミクズ同然意味の全くないものなのかもしれません。
by Alfred_61
| 2014-05-26 00:50
| 日記
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