1970年までの数十年間、クラッシック音楽ではヴィルトゥオーソ(超絶技巧の名人)と聴いていて不快になる音楽がシーンの最先端として君臨していました。作曲において不快感を誘う音楽が発達した背景にはどうしても二つの世界大戦があります。パガニーニ以降のヴィルトゥオーソ時代はすばらしい技術的な発展を促しましたが、結果的に自嘲や固執に陥り、ヴィルトゥオーソ時代は終わりを迎えることになりました。 さて、ではこれからの音楽はどういった物が成功するのか、というのが疑問として浮かび上がってきます。70年以降はそれまでの時代に対するアンチテーゼ(何かへの反発)でミニマルミュージック(音楽の構成要素を出来るだけ少なくし、単純化した音楽)などが発達しましたが、結局これも流れ的に構成要素を少しずつ増やして今まで通りの音楽に戻りつつあります。結局これからはカオス(何でもあり)の時代になるというのが大方の予想になっています。 何でもありって、じゃあ何をすればいいの?と訊かれればとても返答に困ります。何でもいいんじゃないのと言ってしまいそうですが、そうでもないのが現実です。個人的に思うのは、普通に考えて上手くいくことや正しいやり方をすれば、後は主体性さえあれば何でも上手くいくのではないかと考えます。 でも、普通に正しいことって、以外とみんな出来ていなかったりします。例えば、良くない理由で作曲をしていたり、自分勝手に物事を進めたり。ヴィルトゥオーソ時代が終わったのは「自分勝手さ」が世界に蔓延しすぎたのが大きな原因としてあると思います。いつの間にか草の根の聴衆に歩み寄る姿勢を忘れ、妙なプライドを持って自分からクラッシック音楽の敷居を高くしてしまったのです。演奏家も演奏より名前が先行し、聴衆によってはレアな演奏家の名前を知っていることがある種のステータスになっていたりもします。まあ、そんなやり方をしていては次の世代にそっぽを向かれても仕方ないでしょう。 「この深みが分からないかなあ?」と言われて不味いワインを飲まされるような気分を心地よいと思う人がいるでしょうか?本当に美味しければ、その人のコメントどうこうよりもその食材自体の味に唸ってしまうと思います。友人に全く日本酒の飲めない人がいますが、その人に「船中八策」という僕のお気に入りのお酒を勧めたことがありますが、そんな人でさえも僕が感動した「船中八策」の味を理解することが出来ました。 本物は誰にでも分かるのです。これからのカオス時代に必要なのは本物の音楽なのです。本当に美味しい物を作っていくことがこれからの時代を生き抜く鍵になると僕は思います。
by Alfred_61
| 2005-01-11 18:43
| 日記
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