なんだか最近勘違いしてるのかと思う人をよく見かけるので、ちょっと頭の整理にこんなことを書いてみたり。音楽を作るために必要不可欠なテクニックというモノがあるのですが、それらは一般大衆には見えないように使われるので、巷での「技術」と本当の「技術」に妙な隔たりが出来ている気がするのです。 やっぱりまず白羽の矢が立つのは指揮者。「あの指揮者はダウンビートがはっきりしていて見やすい」・・・って、これちょっとずれています。正確にはダウンビートの一拍前にある「呼吸拍」がはっきりしているから見やすいのです。正確に指揮を振るということは、逆に言えば演奏しづらいことこの上ないのです。はっきり呼吸のリズムが分かるから次の拍が合う、もっと細かく言えばリタルダンドやアッチェランドでも大勢の人間が一緒に演奏することが出来るのです。 次に弦楽奏者。どうしても一般人の目は左手に行きますが、弓を扱う右手が駄目な演奏家ほど聴いていて苦痛なモノはありません。これは張りのある声のでない歌手と同じです。演奏家はさらに、自分の感情を表現するというとんでもなく難しい技術を要求されます。自分が何を思うか、それをまずは正直に見つめることが大事で、次にそれを指を通して表現するのですが、例えば自分の心の奥底では本当はピアノを弾くことが苦痛で仕方がないと思っているならそんなモノを認めたくはないわけで、正直にそれを表現する人なんていません。でも、正直でなければ音楽は響かないのです。いやはや、演奏家には頭が下がります。 さて、いよいよ作曲家ですが、これはもしかしたら取り返しがつかないほど誤解されていて、あまり言及したくもない位です。どれだけ大編成のオーケストラを使いこなせるかとか、論文が一つ書けるほど内容の濃い作品を書くこととか、いい加減にして欲しいと思うような誤解が存在するのです。オーケストラの曲で、ショパンの短いピアノ曲よりも心に響いてくる曲って、結構ない物ですよ。いや、アカデミアだけではなく、ポップスの世界でもCDを発表する頻度を求められたり、どんなくだらない依頼でもまっとうなモノを書ける技術を求められたりするわけです。ここで言うまっとうなモノとは社会のニーズに応えるモノで、簡潔に言えば金儲けのことを意味します。 音楽を作る為の技術って、本当はもっとさりげないモノで、上に挙げた具体例の他にも、例えば小さな演奏会をする時にホールの内装や飾り付けに気を配れるかとか、演奏会の後に心を込めてお客さんに感謝の言葉を言えるとか、そういうことだと僕は思います。いつの間にか機械的な技に意識が言ってしまって、人と人との心のふれあいこそが音楽の根元であることをどうも最近見失っている人を良く見かけます。
by Alfred_61
| 2005-11-08 14:38
| 日記
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