もうず~~~~~~っ・・・・・・・と昔の話ですよ、僕がまだ中学生だった頃、当時流行の最先端であったスーパーファミコンでとあるRPGをプレイしました。タイトルは『真・女神転生』(ifでもない一番最初の)。このゲーム、色々な意味で僕の今の世界観に大きな影響を与えた作品なのです。 当時、僕はどちらかというとシャイで無口で、でも世間には漠然とした不満を抱いていた子供でした。何がきっかけだったのかは覚えていませんが、当時は黒魔術や色々な宗教(特にヒンドゥー教)に興味を持ち、中学校に上がってもゲーテや聖書を休み時間になる度に読んでいるというけったいな子供でした。その渦中に突然兄が友達に借りてきたこのゲームは衝撃的でした。 冷戦時代の名残を彷彿とさせる世紀末的な舞台設定、それは核戦争後の東京でした。戦争の引き金となったのはとある博士により偶然開発された悪魔召還プログラム。世界は法により統治されるべきか、それとも戦国時代のように力がすべての混沌であるべきか、その両極の勢力から興味を持たれ、色々な話を持ちかけられる主人公・・・いつかはどちらかを選び、その既存の信念を受け入れその達成に全力を尽くす・・・それがこのゲームのあらすじです。 けれど、このゲームにはLaw(法)・Chaos(混沌)意外に実はもう一つの道が用意されていたのです。どちらの世界も受け入れず、自分なりの感覚でバランスをとり、ヒトとしての世界を作るという第三のストーリーに気づいたとき、それはもうショックでした。右でも左でもない、与えられた答えではない、自分なりの道を自分の力で切り開く・・・当時はテレビゲームなんて子供のお遊戯と捉えられていた世界に、そんな強いメッセージがあるとは夢にも思いませんでした。(でもその代わり、LawもChaosも誰も仲間になってくれないばかりか、全員倒していかないといけないという辛い道なのですけど、結果的には経験値が一番溜まるという皮肉な結果になるのですが。) 確かスーパーファミコンって5メガとかいう容量内でゲーム作ってたんでしたっけ?画像は本当にちゃちで潰れていて顔も表情も分からない人物像ばかり・・・3Dさえ存在しないレベルの技術・・・音はFM(Frequency Modulation)を使ったノイズオスシレーターとサインウェーヴを出す原始的なオスシレーターのみで作られた単旋律ばかり・・・でも、でも、その中にあれだけのドラマがあるなんて・・・ゲームが本当に面白い時代に生きていたことを心から感謝します。当時は流行の曲を使うなんて技術的に不可能で、一つ一つのゲームの為に音楽を作るのが当たり前だった時代・・・音楽も当時は良いのが沢山ありましたねえ・・・。僕がもしゲームのサントラの仕事を貰うなら、あの頃のように、完全にそのゲームのみの固有の世界観を表現することに全力を使うのですけどね・・・。はぁ。 実を言えば、僕はもうここ5年ほどまともにゲームはしていません。あの頃、あれだけ原始的な技術環境にもかかわらずとんでもないドラマや感動を与えてくれたゲーム達の記憶があるために、最近のゲームはやり始めてもすぐに飽きてしまうのです。今は映画のような画像や現実味のあるキャラ達が縦横無尽に画面内を動き回ります。けれど、ゲームのポイントというか、核の部分というか、ドラマがないんです。まるでハリウッドの映画みたい。 さて、話を戻して真・女神転生ですが、これをクリアして一年後くらいに、偶然出会った英語の家庭教師に勧められ、僕はアメリカ留学を決意することになるのです。すでに存在している考え方を受け入れるのではなく、自分で失敗を重ね、努力して、自分の生き方を見つけるために。今も、音楽の世界で僕はそういう立場にいます。決して既存の価値観や先入観にはとらわれず、自分のやり方で、自分なりに道を切り開き、例え結果的に既存の価値観と同じ所にたどり着いても、それを"自分の価値観!"と胸を張って言えるように。 ホントにあのゲームは20回以上やりましたよ。宝箱の中身とか、最後のダンジョン、カテドラルのマップさえほとんど今でも覚えています。そしていくら環境が悪いとか、設備が無いという状況でも、本当に素晴らしいモノは素晴らしいのだということも、今でもあの頃と同じように信じています。インディーズだとか録音設備がないという状況でも、本当に良い音楽を書けば、バリバリザーザーいう録音でも音楽は人に伝わるのだと。
by Alfred_61
| 2006-05-28 05:12
| 日記
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