ルネサンス期(バロックより前)のイギリスのリュート(ギターの前身)奏者/作曲家だった、John Dowlandという人がいました。友達のタンクに紹介されて聴いた作曲家ですが、これがかなりイイです。 ルネサンス期といえば宗教音楽の全盛期。作曲家のパトロンといえば教会と相場は決まっていたのですが、このダウランドはまるで古典派、ロマン派の作曲家のように、上流貴族や外交官の下で作曲をしました。だからその作品には宗教性よりも世俗性の方が強く、得になぜか分かりませんが"悲しみ"ばかりが目立つ気がします。しかもかなり絶望とかに近い、陰鬱で内向的なものが。 しかしその美しさは何とも言えず、作曲家として彼が天部の才を持っていたことを音が独りでに物語っています。有名な"Flow My Tears"(流れよ我が涙)や"Lachrimae"(哀歌)などはリュートというギター以上に極度に繊細な楽器を存分に生かした名作だと思います。 良く、ダウランドなんかを聴いていると思います。例えばオーケストラの作品で、うるさい系のモノ、例えばヴァグナーやブルックナーなんかは、かなり楽器それぞれが持っている繊細な"味わい"というモノをかき消してしまっているように感じるのです。例えば、バッハの無伴奏ヴァイオリンの曲を聴いたことがある人は、ヴァイオリンってこんなに響くモノだったかなと疑問を持たれたと思います。けれどもそれは、無伴奏であるが故に残響や倍音が幾重にも重なり、繊細な音のスペクトラムを生み出しているからなのであって、例えタダのピアノ伴奏が付いていても、その繊細さは簡単にかき消されてしまうモノなのです。 "静かな音楽ほどうるさい"と矛盾しているようなコトを言う人がいます。けれども、これはつまり静かな音ほど繊細な高い周波数のスペクトラムと実音との兼ね合いがはっきり聞こえ、それによって全体のアンプリテュード(音の大きさ)が低くても人間の聴覚を、つまり特別な注意を引きつける、ということなのです。その結果、リュートなんかを弾いている隣で誰かが喋っていると、リュートの音に気が取られるから余計にその人が何を喋っているのか聞きづらくなるのです。 ダウランドは音楽的にも繊細で、人の心の弱い部分を表現します。個人的には、リュート音楽ではこいつに敵うのはいないなと思います。例えそれがJ.S.Bachであってもね。
by Alfred_61
| 2006-07-20 10:02
| 日記
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