最近、次に書く曲のことばかり考えながら街を歩いています。今日は大阪ミナミにある高級ステーキ屋に、タダ飯(タダ券があった)を食べに両親と三人で行きました。そこでは毎晩備え付けのグランドピアノで演奏者を雇って生演奏が行われていると売り文句に書かれていました。きっと大阪近辺の音大生かしがないピアノ教室の教師が小銭稼ぎに弾きに来るのではないかと思われました。 で、何を考えたかといいますと、まずは来年大学を終え、それから2年間大学院を修了したとして、もしそれから日本に帰ってきて大阪で地盤固めから仕切り直してキャリアを積んでいくなら、僕もそういう店を探してポップスやジャズっぽい楽に弾ける曲を演奏してお金を稼ぐことを数年することになる、ということでした。気になって家に戻り、父親が昔からのファンである西村由紀江の曲なんかを初見で弾いてみました。きっとそういう店で喜ばれるのは堅苦しいソナタよりもそういう曲だと思ったからです。 いやね、正直なところ、僕は初見ってのが苦手だと思いこんでたんですよ。でも、苦しい辛いと日々練習してがんばってきたせいか、今では教会で歌う讃美歌の初見はもちろんのこと、西村由紀江の曲の半数以上が初見で相当弾けたのです。それこそ、仕事の前日に何曲か2、3時間さらえば十分レストランなんかで弾ける位に。ちょっとこれには感動しました。昔は4和音くらい出てきたらもう訳が分からなくなって止まっていたのに、今はさらりと通れたりして。不思議なものですねえ、こういう技術の習得って"いつ"とはっきり分からない間にできるものなんですね。 そして同時に西村由紀江の曲を弾いていて思いましたが、そういう風に一般大衆が肩肘張らずに、食事のバックミュージックや会話の端で雰囲気を作ってくれるような音楽を、今度は書いてみようかなと思ったのです。しかも偶然ニューヨークの友達の為に6~10分くらいのピアノ曲を書くつもりだったので、それを実行してみようかなと思います。今はまだはっきり分かりませんが、このコンセプトならもしかしたら小品曲集になるかもしれません。 作曲家ってセコいものでしてね、理由は多ければ多いほど良いと思っちゃうんですよね。で、出来ればその小品曲集か何かその作品が、将来自分で必要となったときに引っ張り出してきてさらっと弾けるような、そんな曲になれば良いなと追加で考えるわけです。タンクの"Hommages for Piano Book I"なんかは似たような構成になっていますが、彼の曲のコンセプトに"簡単さ"や"気楽さ"は含まれないので、全く違ったモノになるでしょう。 ニューヨークの友達も、いつかは学校を卒業したり、もしくは在学中にも同じようにレストランやサロンでの演奏会なんかを多数こなしていくことになるでしょうから、その時に便利に使える曲を書いてあげれば喜んで貰えると思います。取りあえず、少しずつですがこうして曲の構想が固まってきました。そして、これこそが僕が生きる上での充実感というものです。
by Alfred_61
| 2006-08-09 01:32
| 日記
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