音楽には面白い周期があります。これはちなみに、アカデミズムでもクラッシックでもポップスでもレゲエでも商業音楽でも音楽と名が付けば何にでも言えることです。周期とは言ってもその種類は二つしかないので、言わば行ったり来たりという感じとも考えられます。 まず、大前提として音楽はすでに社会に存在しています。鶏と卵の話はここでは割愛します。その中で、斬新で熱狂的な支持を得る才能が数年に一度出てきます。それが出てくると、それ以降の数年間はみんなやれ続けとばかりにその一つの才能を真似し、崇拝し、言わば出来の悪いレプリカが横行する時代になるのです。けれども、社会はそのレプリカに満足できなくなり、その結果製品を購入する意欲が薄れ、音楽業界は経済的な冬になるのです。完全に冬になると、これじゃあダメだと夢を持った新しい才能が出現し、そしてまたみんなそれに続けとレプリカを作る時代になるのです。 例えばアカデミズムでブーレーズ、リゲティに続いたスペクトラムのレプリカ達、ライヒやアダムスに続いたミニマルのレプリカ達、商業世界でX-JAPANに続いたヴィジュアルバンド世代、宇多田ヒカルに続いたアメリカ商業音楽レプリカのレプリカ達、アメリカ黒人文化に続いたアジア言語での勘違いラップのレプリカ達、セリーヌ・ディオンのレプリカ達、久石譲のレプリカ達、その久石譲もピアソラのレプリカをやった・・・と、言い出せば本当にきりがありません。 今、僕は音楽界はいわゆる冬にあると思います。散々みんなレプリカを作り、世間はもうとっくにそれに疲れて新しい才能を求めているのだと。僕は日本に帰って自分の音楽団を作る企画を立てていますが、それは完全に今まであったレプリカ達を一掃するほど斬新で力のあるものにしようと考えています。もちろん、人と違うことをするということは苦労ばかりですが、僕に出来ることとはレプリカを作ることではなくて時代を進める音楽を書くことなのだということはずっと昔から自覚しています。(ちなみに、だから僕達の作曲グループはTHENEWSTYLE.ORGなのですけどね。) はっきり言って、僕に「セリーヌディオンみたいな曲を書いてくれ」と言われても、それなりのモノは作れますが、それ以前に僕はそういう仕事はしません。僕は自分のオリジナルを作ることを専門に勉強し、訓練と経験を積んできた作曲家です。誰にも作れない、僕にしか書けないモノを書いてくれといわれると、僕はいつでも喜んでその仕事を受けます。今まで誰も踏み入れたことのない音楽の世界こそ、僕が今立っている場所であって、いつかその価値と創造性を認めてくれるコラボレーターに出会うことが出来ればと切に願っています。
by Alfred_61
| 2006-11-12 01:44
| 日記
|
ファン申請 |
||