基本的に、作曲というものを教えてくれる学校機関はありませんし、ほとんどの教師は教えることが出来ません。表面的な技術は教えられますが、"どうやって曲を書くのか"というのはかなり高度な音楽的理解と芸術的センスが要求されるのです。確かに、例えばこんな鋳型を使えば曲を書くだけなら誰でも出来ます。 【イントロ-Aメロ-ブリッジ-Aメロ-Bメロ-サビ-ギターソロ-Bメロ-サビ-アウトロ】 イントロとAメロには同じキーを使い、ブリッジは一時的なボロウドキー(例えばレラティヴのメジャーかマイナーのキー)を使い、Aメロで元のキーに戻って、Bメロは"5度の輪"で近くにあるキーに移動し、サビで元のキーに戻り、ソロで離れたキーへ飛び、Bメロで5度に戻り、サビで元のキーに戻ってアウトロはそのままリズム的な終わりを作る。簡単でしょう?もしCメジャーの曲なら、CM-CM-Cm-CM-GM-CM-FM-GM-CM-CMとなります。でも、これは"どうやって曲を書くのか"というものとは全く違います。これは、ただのパズルです。こういう書き方をしている以上は、絶対に時代を超えて聴かれる音楽は書けません。 では、どうやって曲を書くのでしょうか?鋳型を使えば商業的な作品は残せるでしょうが、所詮は鋳型に頼ったパズルですので、シーズンが変わるだけでもう誰も覚えていない曲にしかなりません。今の日本のポップシーンはほとんどこれです。いくらリリース時にはミリオンセラーになっても、次の月にはもう誰も知らないしラジオでもかからない、と。で、昔の本当の音楽をカヴァーしたり、"懐かしのxx年代"なんていう番組やCDが売れるんですね。当たり前でしょう。 もちろん、この鋳型の構造を"知らない"というのは話になりません。けれども、"知っている"だけでは曲を書けるワケではないのです。本当に音楽を書くならば、この鋳型を、意識せずに使えるようにならなくてはいけないのです。言うは易しですが、つまりこれは、イントロを書いた段階で、そのメロディーがどの方向へ行きたいか、どういう道をたどってアウトロへたどり着くかを感覚的に直感し、それが"後でふり返ってみると"なんと鋳型と同じでした、という感じにならなくてはいけないのです。つまり、音楽を書いている最中に、「鋳型がこうだから次はこうしよう」と考えたらパズルになって、「あ、出来てみたら鋳型通りだった」となれば音楽になるのです。 作曲はある意味、"精神のトランス"が必要になります。自分が曲を書いているときに、自分が曲を書いていると意識してはいけないのです。いけないというか、本当の音楽を書いている時は、夢を見ているか、記憶喪失になっているか、そういう特殊な精神状態にあるのです。つまり、"音楽の書き方を知る"ということは、"自分の精神を自由にトランスさせる方法を知る"ということなのです。 ちなみに、僕は自分なりのトランス方法があります。僕なりの方法を一つの可能性をとして誰かに教えることは出来ますが、それがその人にも通用するのかは恐らくあり得ないでしょう。僕がアメリカに来て学んだのは論理的に作曲をしている自分の状況を分析、理解し、それに芸術的方法で自分の精神をコントロールするということです。 もし作曲のメトードみたいなものがあれば、それって半分哲学書か宗教書か心理学書かカウンセリング書かマインドコントロール書か・・・何かそんな感じになるのでしょうねぇ。まあ、結論を言ってしまえば、人としての成長、知識と経験の含蓄、それらなくして作曲の方法そのものを身につけることは出来ないのです。逆に、生まれたときから人間的に良くできた人なら、成長と共に勝手にその技術が身に付いている人もいるんですけどねぇ。
by Alfred_61
| 2006-12-15 03:25
| 日記
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