映画の場合、まず最初に出るのが監督の名前ですよね。監督というのはまあ映像全面を監督している人で、基本的に音楽を作っている人とイコールではありません。ゲームでは、取りあえず制作会社名でしょうか、一番前に出てるのは。アニメなら、原作者かな。うーん、時代の変化って言うんでしょうか、現代の複合芸術で作曲家が一番最初にプロモートされるメディアって、もしかしたら全くないんじゃないでしょうか。 オペラ(歌劇)なんて、ストーリーを作った原作者より、舞台をまとめている演出家より、リブレットを作った脚本家より、まず作曲家の名前が制作者の一番上の立場で表現されますよね。ボエームを作ったのはプッチーニとか、アイーダを作ったのはヴェルディとか。バレエでもそうですねえ。くるみ割り人形はチャイコフスキーだとか、春の祭典はストラヴィンスキーだとか。う~ん、何が違うんでしょうか。はっきり言ったら、実際の演奏を仕切る指揮者や、脚本家や演出家の方が作曲家よりもよっぽど重要な監督のような立場にあるんですけどねぇ、でも作曲家が一番偉いんですよね。 これ、いつから音楽を書いている人間が複合芸術において低い立場にあることになったんでしょうか。しかも、複合芸術の場合って作曲家の作品は大抵著作権ごと買い取られるケースが多く、仕事として二束三文なんですよね。そりゃあパソコンやらが進歩して、はっきり言ってちょっと勉強すれば誰にでも製品としての音源を作ることが出来るようになったから、というのはあると思います。でも、それ以前にその曲のクオリティーって、いつから無視されるようになったんでしょうか? つまり、アメリカ資本主義が横行する複合芸術界では、大金を払って特殊な技術を持った作曲家に芸術的クオリティーの高い音楽を作ってもらうくらいなら、著作権ごと買い取れるような駆け出しの若手作曲家に無難な作品を作らせる方が良い、という思想が蔓延しているのです。だから、名もない作曲家の作った素晴らしい作品がしかるべきプロモーションをして貰えることはなく、しかし一度立場を確立した作曲家は大した作品でなくても大々的にプロモートされるんですよね。つまり、それを享受するだけの一般聴衆からすると、「なんだ、最近の作曲家ってしょぼいんだな」と思うわけです。 しかしまあ、僕はよくロックバンドという道にたどり着いたものです。このジャンルでは作曲家が最も偉い立場にあります。だから本当に実力のある音楽家は、ライヴや音源リリースだけで生計を立てるんですね。昔からいる、テレビに出てこないのに売れている人たちのことです。小田和正とか、忌野清志郎とか、松任谷由実とか、山下達郎とか。僕も音楽家として目指すのはこういう人たちです。だって、彼らの音楽って時代を超える力を持っているでしょう。けれども、不思議にいくら素晴らしい作品を複合芸術で作っても、めったに時代を超えることはないですよね。洋画ならあるんですけどねえ。不思議です。 押さえつけられるのが当たり前の作曲家って、知らない間にそういう職業が出来てしまっていたりするんですよねこれが。監督が一番偉いから、複合芸術というよりは従属芸術として音楽を作らされるんですね。大変な仕事だとは思いますが、僕自身のことを考えたら、せっかく親に大金を投資して貰ってこれだけの技術習得や勉強をしたのですから、やっぱり音楽家としてしっかりその価値を認識され、評価される分野でやっていきたいと思いますし、例え複合芸術の仕事が来ても、自分や自分の作品をないがしろにすることだけはしません。
by Alfred_61
| 2007-02-16 09:10
| 日記
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