音楽院で音楽を勉強することって、ある意味ゴーカートなんです。学生である間は何回ぶつけても絶対に死なないし殺さないしお金も払わなくて良いから、みんなやりたい放題。特に作曲なんてものを勉強してる連中は普段公道でそんな運転したら、下手したら死人が出るような運転を平気でするんです。(比喩ですので具体的なことは察してください。) でも、一歩学校を出るとそこでは何よりもまず安全が先決であり、自分のドライヴィングテクニックを披露することが例え出来なくても、死なない殺さないことが一番大事なんです。社会人としての生活とは、自分が社会に出る時点までで積み上げたものを使って、安全運転をして死なず殺さず生きていくことが基本なんですね。社会で冒険してると生活は安定しないし結婚も出来ませんからね。 音楽でも同じです。社会では、みんな事故を恐れて安全な曲ばかりを書きます。もちろん、僕も社会に出てからは事故を起こさない曲を書いていかなければいけないのです。ちょっとエゴを出したせいでライヴが上手くいかない可能性があるとか、レコード会社に受け入れられない可能性があるとかいう作曲は、これからは責任を持って回避していかなければいけないのです。 例えば今僕がパイプオルガンで弾いているMaurice Durufléの"Fugue on the name of Alain"は、はっきり言ってたかだかゼロから始めて4年しかない経験や技術ではほぼ不可能なレベルの曲なのです。でも、僕はこの曲を8学期修了審査というテストで演奏します。もし自分が社会で演奏会をするとしたら、まさかこの曲を人前で演奏することはありません。でも、学校ならば例えテストでちょっとミスが多くてもボロボロでも、自分のレベルより上のものにチャレンジしたことだけで十分認められるものなのです。でも、だからといって僕のレベルがこの曲を弾きこなせるのだと公言するのは間違っています。プロとしての仕事をするならば、もっと安全で何があってもある程度の形になる簡単な曲を選ぶのが当然です。 社会では自分の技能レベル上限ギリギリの生活は続けることが許されません。そういう人はクビになります。社会での生活とは、無理をしなくても当たり前のように出来るレベルの仕事を日々こなしていくだけなのです。ただ、社会に出るまでの間に個人が"当たり前に出来るレベル"をどれだけ引き上げられるかは、その人がそれまでどれほど勉強してきたかで変わってくるのです。 でもね、学校でゴーカートばっかりやってると、やっぱり社会の感覚にぱっと切り替えることが出来ないんですよね。僕でさえこんなに苦労しているんですから、SOUND GATEのギターAnthony Joseph Lanmanなんかもっと苦労するでしょうねえ。正直、事故らない運転をしながら誰よりも早く目的地にたどり着くって、簡単なことではありません。ごっつ難しいです。
by Alfred_61
| 2007-04-12 04:01
| 日記
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