人間関係や社会での立場という物は、自分から何か特別なことをしなければ通念的な当たり前の物になってしまうことが良くあります。普通にやって、普通に生きていくことには確かにそれなりの美学がありますが、これまでに選んできた人生によってもう普通にやることは出来なくなったりします。普通に友達を作って普通に彼女を作ってやっていくのはどうしても僕には難しく感じます。 日本だろうがアメリカだろうが同じですが、社会はやっぱり建前で回っていると思います。例え音楽学校で先生について習うとしても、教科書通りのレッスンをただ公務員が仕事をこなすようにされることもあります。きっと就職なんかでも同じなのだと思います。普通に一社員として採用され、大勢の中の一人としてだけ扱われて仕事をこなしていく、という流れは確かに心地よい楽な生き方ですが、はっきり言って面白くはないと思います。 僕はアメリカにいるときから基本的に言いたいことは誰の前だろうが言って来ました。アメリカ作曲界の権威の先生が僕の音楽を無理矢理曲げようとしたときも、それはまるで僕の作った白ご飯の上にケチャップをかけているようなものだとはっきり言いました。おかげでB-とかいう大変な成績を貰いましたが、それでも僕は間違っていると思ったらそう言いますし、嬉しいときにははっきり嬉しいと意思表示をします。 例えば面接の場などで、形式的に当たり障りのない言動や行動をするのは易いですが、それは僕らしくないというか、半分無意識に僕は言葉にフィルターをかけずに直球で自分の感情を表現したりします。それらは所謂面接などの形式的な場では使うべきではない言葉なのですが、そういう言葉が結果的にその場を和ませたり、僕という人間が普通とは少し違うということを相手に認識させたりすることは実際に良くあることです。そりゃあその一言が原因で場の雰囲気が悪くなったりすることもありますが、結果的にそうやって揺らされた雰囲気は揺れて揺れて僕らしい色になっていくんです。 ある意味、そういう流れを変える言葉が勝手に口から出てくるのは僕の長所だと思います。結構思ってもないことを言ったり、実際の僕の性格とはかけ離れたことを言ったりするのですが、それが後でふり返ったりするとやっぱり僕らしいというか、面白いんですよね。人の注意をひいたり、こいつ面白いなと思わせる為なら、僕はピエロにでも喜んでなります。そういう意味では僕は生まれつき芸人というか、おちゃらけたりけったいな言動をしたりするのが好きなんですね。そりゃあその一言で失敗したことなんて何度もありますし、これからもきっとそういうことは何度もあるでしょうが、良い方向であれ悪い方向であれ、流れを変える一言を自分が言い出さなければ何も始まらないんですよ。自分が自分らしくある為には、やっぱり社会の通念に流されずに自分の内から湧き出るオリジナルをどれだけ的確に良い方法で人に伝えていくかが本当に大事なんだと僕は信じています。
by Alfred_61
| 2007-05-27 12:42
| 日記
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