先日亡くなったブルースの巨匠ジェームスブラウンは、娼婦の母の元に生まれ、片親で育ち、ドラッグディーラーから賭博や盗みまで色々なことをした幼少期をおくったといわれています。それでも、どうして彼の音楽は心に響くんでしょうか。死んでからそんな屈折した人生をおくっていたことを知っても、ただ驚くばかりです。どうしてそんな人生であれほどの音楽が表現出来たんだろう、と。 美空ひばりは、若い頃場末のバーでジャズ歌手としてギグをこなしながら生計を立てていました。一線に出てくるようになってからも、借金やその他の色々な絶望的な境遇の中で、負けずにいつも聴く人の心に響く歌を歌い続けました。メディアに出てくる華やかな見た目とは違って、私生活は決して楽しいとか充実しているとか言える物ではなかったのだそうです。 50年代第二次世界大戦から復興を始めた日本、そしてそれがやっと軌道に乗り始めた60年代、苦労して何もないところから築き上げてきた人たちが、エンターテイメントの主流でした。その苦労を目の当たりにしてきた人たちが新しい日本を作ろうとした70年代フォークミュージック全盛時代、最早アメリカのカントリーミュージックなんかとは似ても似つかない日本らしい哀愁に溢れたメロディーをもつ名曲が沢山作られました。僕は80年代生まれで、まともに音楽活動を始めたのは2000年に入ってからでしたが、僕の知らないそういう昔の音楽を聴いても、その深い感情やオリジナリティーに涙を流しそうになることは何度もあります。 今、2000年以降に新作として売り出された音楽には、どうしても根本的な軽さがあります。"時代を超える物は作られない時代"と言っても過言ではないのでしょうか。もう直接ポイントへ行きますが、はっきり言って現代のミュージシャン全般に言えることは、誰も人生の苦労をしていない、ということです。説明すれば、本当に辛いことを経験していない人には、本当の幸せや喜びも理解することさえ出来ないのです。プロジェクトの発足から成功しか約束されていない企画なんて、はっきり言って長続きするはずが最初からないんですよ。 それなのに、業界では"何歳でこの実力"とか"中学生でデビュー"とかそういうことばかりをプロモートしています。はっきり言います。天才も20歳を過ぎればただの人です。クラッシック音楽の世界では当たり前のことです。そういう人たちには、どれだけがんばっても本当に人の心に響く音楽の"魔法"を表現することは出来ないのです。 失敗を恐れ、安全な道を生き、天才と世間に祭り上げられ、人生の負の部分を知らずして時代を超えるほど人の心に響く音楽を作ろうということ自体、最初から無理に決まっているんですよ。アメリカンアイドルというアメリカのテレビショーでは、いくら上手くても過去に同情を誘うような辛い逸話のある人しか優勝できないそうです。最初は僕もそんなの商業主義でしかないんじゃないかと思っていましたけど、あながちその選考方法は間違っているとも言えないんじゃないかと思うようになりました。 僕は、実力も技能も才能もあるのにどうしてエリートの道を進まないんだと色々な人に言われてきました。でも、少し前に書いたみたいに、それでは僕は本当に良い音楽を書けないと思うんですよ。本気で誰かを愛し、ドラマのような悲運でその人を失ったり、そういう人生の谷間のような経験を何度も積んでいなければ、人の心を本当に癒す音楽は書けないんだと僕は思います。だから、僕は敢えて辛い道を選びました。僕は社会的地位も高く、生きやすい道をわざわざ周囲の反対を押し切って切り捨ててきました。まだまだこれから、僕は苦労をして、悲しみを覚えて、そして時には喜びに踊り、そうやって人の心へ届く音楽を書くための勉強をしていこうと思っています。
by Alfred_61
| 2007-06-22 17:49
| 日記
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