以前にジョンと練習をしていた頃、もう下手をしたら10年ぶりくらいにドラムセットの前に座ってみました。元々僕はどんな楽器よりも先にドラムセットを演奏することでお金を貰った遍歴を持っています。自分にとってはドラムセットを演奏することは空気を吸うように簡単で、当たり前のことでした。それは同時に、ドラムセットというものは僕のアイデンティティの大部分であり、自分が男であることと同じくらいに重要でした。 僕は軽くビートを刻んでみたんです。ジョンのセットで。凄く不自然なのが自分でも強く感じられました。まるで始めてから半年も経っていない楽器を弾いているようで、特にキックベースはもたついたり上半身と一体感が全くなく、酷いものでした。あれをもしもう一人の僕が聞いていたらきっと自分のバンドには誘わないだろうなと思ったのです。 案の定、ジョンは後で行ったバーで「なんだかもたついたプレイだったけど、もし俺が日本に行かないって決めたらホントにお前がドラムやるの?」と言っていました。事実で言えば僕は相当長い期間ドラムを演奏していたので、恐らく一年くらいジャムっていれば勘は戻るでしょう。でも、昔自分が当たり前のように感じていた自分が、今の自分とはそれだけ大きく違うんだと言うことを痛烈に感じました。 SOUND GATEの企画では僕はヴォーカリストとしてメンバーに入っています。個人的な見解では、僕は人の声真似とかには今でも自信がありますし、会話の中でもつい癖で人の声のトーンを真似してしまいます。でも、いざMIDIに声を乗せてみて、それを第三者的な視点で聴いてみて思いましたが、何というか自分で作った曲、自分で作った歌詞で歌っている僕は、本当に不思議なくらい自己主張のないヴォーカリストに聞こえたのです。曲に忠実といえば聞こえは良いですが、演奏家として自分の色を演奏に盛り込めていないのが腰の引けた感じになって全面に感じられるのです。 別に、声のトーンが悪いとか、音程が悪いとかは正直に言ってあまり感じられません。でも、声を張るときにクリーントーンを出そうと無理をして首が絞まったような緊迫感を持っていたり、まあつまりは自信がないのがバレバレなんですね。以前に"誰の声にもそれぞれに合った曲は存在する"というテーマで記事を書きましたが、確かにそれはそうです。でも、その曲を誰もが歌って音楽という製品として使い物になるかどうかは、歌い手が自分に自信を持っているかどうかで決まるんです。 駆け出しの頃と声質が違うヴォーカルってメジャーシーンにも結構いるでしょう?あれは、つまり歌っているうちに「歌上手いね」とか色々と言われて自信を持っていくから、時間が経ってやっとあるがままの自分を表現することが出来るんです。ヴァイオリンの練習のように一つのトーンを美しくするために何年も練習するのではなくて、歌の練習とは日々の生活や活動の中で自分をコントロールし、人になんと言われようが下手くそだろうがその自分に強い自信を持つことなんですね。なるほどアメリカにいる歌手の友達はみんな一日30分程度しか練習しないのにまるで沢山練習しているように聞こえたワケです。つまり日々の生き方そのものが練習なんですね。 声優なんかだと与えられた役を演じきることでその自信の部分をカヴァーしますが、ヴォーカリストとして何より大事なのは自分という役を100%演じきることだと僕は思います。社会上自分とは情けないものかもしれませんし、決して誇れる物ではないかもしれません。でもその自分を心から認め、劣等感や変な謙虚さを取り払ってしまわないと、声って響かないんだと僕は感じます。もちろんカラオケなんかで長時間声を出すトレーニングや音程のヴォイストレーニングも続けていきますが、もっと自分の声を積極的に録音して聞き込んでいこうと思います。僕はもっと自分のことを知らなければいけないと、自分の声を聴いて思うからです。そしてあるがままの自分になりきる技術を早く身につけたいと思います。 正直なところ、最近音楽に対する張り合いをあまり感じていませんでした。やりがいはいつもあるんですけどね。何かこう、出来ないことに挑戦している感じがなかったので、これは挑戦するに十分なテーマだなとやっと感じられるものにまた出会いました。ジョンが来るまであと大体2ヶ月です。ここからが追い込みですね。まだまだ上手くなってびっくりさせてやりますよ。
by Alfred_61
| 2007-07-16 02:52
| 日記
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