過去の恋を忘れるには、新しい恋におぼれるのが良いと昨日の深夜にみていたアニメで言っていました。そうなんでしょうか、ホントに。でも、僕は過去の思い出に取り憑かれている以上、今のままでは誰かを自分や音楽よりも大切に思うことができる日は死ぬまで来ないと思います。 死が二人を分かつまで、そんな言葉があります。でも、その後は一体どうなるんでしょうか。生きている間だけの関係で、それは死を境にして二人が分かれることを誓っているようには思えないでしょうか。僕は、できることなら死ぬまでの関係よりも、死んでからより一つになれるような相手が欲しいと願ってしまいます。 帰国から3ヶ月が経ち、僕の当たり前の日々というものがだいたい決まってきました。普通に生きていく上で、僕には誰かを好きになったり誰かに好かれたりする機会は、今のままではありえないでしょう。そりゃあ、僕も今のままの人生がずっと続くとは思っていませんし、続けるつもりもありません。バンドが始まれば、たくさんの人と出会ったり関わったりすることになるのはすでに決まっていることですが、同時に僕はそういう状況になっても仕事、つまりは音楽のことを最優先に考えて、冷たいワーカホリックなミュージシャンになってしまいそうな気がします。 女を道具のように自分の緊張をゆるめるために使えるような甲斐性が僕にあればまた話は違うのでしょうが、僕は一人の人に盲目なほどにおぼれるタイプですから、あれもこれもとやると罪悪感やストレスで死んでしまいます。 でも、死ぬまで一人の人とも心から通じ合うことのできない人だって世の中にはたくさんいます。たとえ形式的に結婚して家族を持っていても、本当に人を愛したことのないひとはかなりいるのです。他人と比較したりしてはいけないことなのでしょうが、僕はすでに自分が死んでも良いと思えるほど一人の人を愛したことがあるので、それだけでもしかしたら十分なのかもしれません。その記憶がある以上、それとともにこれからも一人で生きていけば良いのではないかなと。そしてそういう人生も別にアリなんじゃないかなと、そういう風にも思うのです。あの先輩が聞いたら「涸れてるねぇ~」と言われそうです。 今、頭の中で構想している曲のテーマが、そんな感じのことなんです。死が二人を分かつまで・・・その言葉や誓いには考えようによってはとても切なく、真理を意識した意味が含まれるのかもしれません。単純な幸せを意味するのか・・・それともひとときの、終わりある幸せの宣言をすると同時に、その限られた喜びを十分に感じるために自分自身に対して誓う言葉なのかもしれません。なぜなら、神様とは本当は個人それぞれの中にだけあるものなのですから。
by Alfred_61
| 2007-08-17 01:37
| 日記
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