音楽の魔力というのは、色々な解釈ができると思います。その一つに、僕は"未来を忘れさせる幻覚効果"があると思います。音楽というものは、聴いているときでも、演奏しているときでも、練習しているときでも、作っているときでも、その世界に飲み込まれてしまうと、将来というものがどうでも良くなってしまうのです。 音楽とは、"時間の魔術"だと誰かが言いました。僕は、音楽は"今と言う瞬間の魔術"だと思います。実際に音楽が音楽として具現化されるのは、必ず時間という座標軸の上であり、時間という縛りをなくして音楽は存在することができません。今この瞬間になっている音楽は、5分後の未来にはもうなくなっているのです。でも、5分後の音楽を聴こうと思うなら、必ず5分経った瞬間の"現在"でしか聴くことはできません。そして、音楽とは流れゆく連続した"今"という瞬間に響く音の羅列なのです。 本当に不思議なことなのですが、音楽を聴きながら自分の過去を生きることってできるんですよね。それも一時の幻覚でしかありませんが。けれども、なぜか未来と音楽の繋がりは過去と音楽のそれと比べて非常に希薄に感じられるのです。歌を聴いていても、歌詞がその先どういう風に進んでいくのかを考えることよりも、今聞こえている歌詞に意識が集中してしまうというか、なんとも表現しにくいことなのですが。 たとえばライヴで暴れている最中なんて、その後どうやって帰ろうか、とかせっかくセットした髪型が崩れると帰りに恥ずかしい、とかそんなことは全然どうでも良くなるんですよね。演奏している側も、本気で音楽に入っていると、演奏会でバカみたいに弾きまくってしまったり、叫びすぎてしまって次の日喉が大変なことになったり、腕が筋肉痛になったりするんです。それは、音楽という麻薬がもたらした"未来を忘れる"効果で、それこそ本当に気持ちの良いものなのですよ。 自分の体はいずれ老いて動かなくなってライヴで暴れることもできなくなるんだろうな、なんて音楽を聴いていると本当にどうでも良いことのように感じられてきます。いずれ自分の頭髪が抜け落ちたり真っ白になって見栄えが悪くなる、とかもそうですし、肌の張りがなくなっておばあちゃんになってしまうとか、自分はずっと結婚できないんじゃないかとか、もし配偶者が自分より先に死んだらどうしようとか、仕事をクビになったらどうしようとか、もうそういう未来への不安のほとんどは、音楽という麻薬によって忘れることができます。 音楽と麻薬やお酒の違いは、麻薬やお酒は肉体的に影響して精神を麻痺させるのに対して音楽は精神的に直接影響してきて麻痺させるということです。しかも、精神的な効果は持続性があり、麻痺させるという肉体側からの強制的な効果とは違って、どちらかというと減ってきたエナジーを供給する、というような相当前向きな効果があるのです。 将来のことを気にせずに、ただ今という瞬間を精一杯生きれるなら、それは幸せとは言えないでしょうか。人であるが故に持つ、暗闇のような不透明なものに対する恐怖を捨てることができるなら、毎日はとても充実して楽しいものになるのではないでしょうか。明日に疲れが残るから、やりたいことを我慢して寝るとか、そういう生き方はやっぱりストレスの原因になります。それは社会を生きる上での責任であり、当然のことだと言うのは、僕は個人的に間違っていると思います。 音楽産業とは、言わば東南アジアのケシ畑や大麻産業、さらにはお酒産業と同じようなもので、絶対になくなることはありません。音楽は、今を生きる人すべてにとって栄養剤となるものなのです。ただ、一番重要なのは、大麻もお酒も自然の産物であるのに対し、音楽は人が作り出すものであるということです。つまり、作り手の技が落ちれば社会に二流品しか出回らなくなり、間接的に社会問題を増やすことになります。少なくとも、作る側一人一人が中途半端な気持ちや悪意をもって音楽を作ることをしてはいけないと、僕は思います。そういう意味で僕は実はトランスとかフィリップ・グラスとかあんまり好きじゃなかったりします。あの辺はお酒や麻薬と大差ないので。
by Alfred_61
| 2007-09-30 17:16
| 日記
|
ファン申請 |
||