選択肢に直面したとき、まあヴィジュアルノベルのように4択くらいならどれがベストであるかを考えて選ぶこともできるのですが、実際に現実で直面する選択肢は無限にある選択肢の中から自分の価値観のみで一つの結論を出さないといけないのですよね。 例えば、自分が付き合っている恋人や、結婚した相手は、一体どういう理由で選んだのでしょうか。そこには、ビジネス的な利害関係が一致したとか、自分にとって有益であるから、というベターワースの理由があったのでしょうか。その人は自分の望むモノをすべて与えてくれるから、というだけでも十分自己中心的な損得勘定での結論になります。 一人暮らしをするときなんかに、どのアパートに住むかというのも、なかなか比べてどれがベストであるかという考え方では選べないものです。恋人を選ぶのも、たいていの場合はベターワースの問題ではなく、もっと違った理由で決めている場合が多いと思います。じゃあ、自分はそれを決めるとき、一体何を基準にしてそれを選ぶのでしょうか。 音楽では、この"選ぶ"という作業が創作においても演奏においても最重要事項になります。どうしてそのメロディーに対してそのコードを選ぶのか、いや、そもそもどうして"メロディーにコードを付ける"という極端な選択をするのか、それは自分自身に問い返すしかないのです。最初にドの音があって、その次にはド以外の音を使うと決めるなら、そこにはきちんとした理由が必要なのです。もしその理由が"ありきたりになりたくないから"とか、"繰り返しはできるだけ避けるべきだとみんな思っているから"とかいう外的なものであるなら、その過程で作り出される音楽がその人の個性を反映した"オリジナル"になることはあり得ません。 先日、スネアドラム(小太鼓)を購入しました。別にこんなモノ、ライヴハウスやスタジオの備え付けで事足りるんですよね。それに、たとえ個人で購入するとしても、別にAのスネアドラムでもBのスネアドラムでもスネアドラムという役割は果たすことができるんですよ。じゃあ、そこでどうしてAの方を選ぶのでしょうか。ちなみに僕は、ふらりと立ち寄った楽器屋でふと目にしたアルミシェルのものをその場で購入しました。もちろん、何故それを選んだかは僕の中にしっかりとあります。
by Alfred_61
| 2007-11-27 16:31
| 日記
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