僕は今まで何度か、どうにも不思議な体験をしたことがあります。別に心霊現象とかじゃなくて、なんというか自然の魔法にかかったような、そんな感覚を感じたことが何回かあるのです。僕はそういう自然の偉大な力みたいなものを見てきたから、もしかしたらオカルトとか心霊現象とかに全然心動かされなくなったのかもしれません。 初めてアメリカ大陸へと飛んだとき、14時間という長距離のフライトに疲れてウトウトしていたとき、ふと理由もなく外の景色が気になりました。客室の窓はすべてアテンダントによって閉められていたのですが、どうしても今窓の板を上げて外が見たいと思ったのです。ああいう時って時間の感覚がなくなっているのですが、どうしてもその時でなくてはいけないと思ったのです。そして窓を上げると、そこには遙か遠くから昇る太陽が、高い雲の帯と低い雲の帯に挟まれた幻想的な空間に浮いていたのです。太陽というと眩しいイメージがありますが、このときの赤い太陽は目に本当に優しい色をしていて、僕はその姿に目を奪われました。エンジン音のせいで外の世界の音が全く聞こえない状態で見たあの景色は、まるであの小窓から絶対に向こう側へ行くことの出来ない異世界を少しだけ覗いたような、そんな気がしたのです。 インディアナでの最初の冬、僕はそれまでいた狭すぎる寮を出てアパートへ引っ越しをしました。助けてくれた姉さんのように親しかった人と同じアパートに住むことになる友人と僕の三人ですべての荷物を部屋に入れ、さあ引き上げようと玄関に出たとき、暗い夜空から宝石の欠片がパラパラと降っていたのです。玄関先の外灯に照らされてオレンジや白に光るそのダイヤモンドの粒は、つまり雪の結晶で、その現象をダイヤモンドダストと言います。しんしんと音もなく舞い降りるダイヤモンドダストは、表に出てしまえば脆弱すぎて見えず、でも外灯の熱で簡単に解けてしまう不思議なものでした。どう見ても足下にはダイヤモンドが溜まるように思ったのですが、その雪は積もらず、そのほんの一時だけ降ったのです。僕があの町に住んで最初に感動した瞬間でした。 インディアナでの最後の冬、珍しい現象に出会いました。その日は明け方から雪が降っていたのですが、午前中に突然一時的に気温が上がり、雪が雨に変わったのです。そして正午過ぎに突然気温が反動で急低下し、その結果枝だけになった町中の木々にかかった雨がしたたり落ちる前に枝枝を覆うように凍り付いたのです。これが樹氷という現象で、僕がこれに気づいたのは夕方4時頃オルガンの練習をしに練習棟へ歩いていた時でした。ふと振り返ると、一本の大きな木の背後に黄色い夕日が見えました。夕日の光はそのまるでガラス細工のような木の枝を通って数多の方向へ屈折し、その光の筋の折り重なりはまるでそこに神様でもいるような神々しさでした。あれだけ繊細な作りの氷を通った光って、七色になるんですよ。僕はその日の練習をあきらめて、凍える寒さも忘れて日が落ちるまでの小一時間、その木を眺めていました。 自然とは本当に不思議で大きな存在です。このブログのメイン左上にある写真も、冬の終わりのこれ以上ないほど澄み切った空気の日にあまりに高い太陽が白く輝いていたのを撮影したものです。太陽といえば夕日とか黄色いイメージがあるのに、真っ白なこのときの太陽はまるで神道で言うところの天照大神なのではないかと思えるほどの神々しさでした。 もう数週間でシドニーへの旅に出ます。また向こうで何か不思議な体験ができたらなと、そう思います。僕の音楽には、"不思議な自然"というテーマが繰り返し使われます。そんなもの人に伝えるようなことではないので、僕はただありのままを表現するだけです。だからきっと僕の曲を聴いた人にはあまり伝わっていないでしょう。伝わらなくても良いこともあります、音楽には。自然は本当に美しい。僕がそう感じていれば、それで良いのだと思います。
by Alfred_61
| 2008-02-06 03:50
| 日記
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