昔は、音楽とは流通できない芸術だったのです。太古の昔は、音楽はそれこそ儀式のようなものだったり個人的な娯楽でしかなく、それを流通して経済効果を発生させるということは行われていませんでした。日本で言うとそれは童歌であり、民謡であり、田植え歌だったわけです。西洋ならキリスト教会での合唱だったりするのです。 しかし、西洋音楽では音楽の表記法が発明され、それによって音楽をより多くの人に広めたり時代を越えて記録したり出来るようになりました。それから音楽という物が経済的な価値を持つようになり、楽譜はやがてお金で売買されるようになります。それによって音楽を演奏するということが、制作者の同席なくして出来るようになり、簡単に言ってしまえば音楽を演奏すること自体でお金が稼げるようになったのです。楽譜という記録媒体の登場によってそれまでの音楽というものの社会的価値ががらりと変わってしまったのです。 19世紀に入って録音という技術がかのトーマス・エジソンによって発明されます。これによってそれまで主流だった楽譜という音楽の流通媒体はその価値を下げ、録音という流通媒体がそれに取って代わるようになります。この発明によって音楽の経済的価値は飛躍的に向上し、20世紀後半に録音技術が進歩してからは音楽は作曲者、演奏者だけでなくそれに関連する膨大な数の人を養うビジネスとなっていきます。 そんな音楽のビジネス価値を資本主義経済が放っておくはずもなく、結果的に画策の上にでっち上げられた"○○ヒットチャート"のようなものやその他の様々なマーケティング方法が考案され、音楽そのものの芸術的価値とは別に、良い音楽だろうが悪い音楽だろうがお金が儲ければそれで官軍のような思想が蔓延し、音楽はいつしかその本当の意味とは違った意味で利用されるようになります。現代では下手くそな演奏を上手く"直す"ことだって出来るんですから、もうそんな物音楽のそもそもの意味を失っていますよね。 でも、インターネットの普及によって録音という流通媒体の経済的価値が急落しました。最早音楽とは録音に対してお金を払って購入する商品ではなくなったのです。当然、録音に傾倒しすぎた現代音楽業界は悲鳴を上げ、法整備などの手段によって録音の経済的価値を守ろうとするのですが、政治を動かすのは容易なことではなく、結局時間もかかってしまう為に食いっぱぐれることには変わりないという現実が音楽業界に突きつけられているのが現在です。 僕は、録音というものも楽譜というものも金本位制の紙幣のような物だと考えています。そもそも音楽とは太古から変わらず、それ自体を流通することの出来ない芸術だと僕は思っています。音楽が何故生まれたかなんて現代を生きる僕たちにも当たり前に分かることですが、同時にそれが経済的理由でなかったことは火を見るよりも明らかなことです。ビジネスに傾倒しすぎて退廃した音楽文化をもう一度立て直すには、流通媒体ではなくて音楽そのものの芸術的価値追求が必要なのではないかと僕は思います。知識の実を食べたアダムじゃないんですから、昔のやり方に戻ればそれで良いじゃないかと僕は思います。音楽が経済的価値を持たなかった昔から今も変わらない"音楽活動"の本懐に立ち返り、その上でこれからの音楽は作られていくべきだと僕は思います。
by Alfred_61
| 2008-02-10 02:58
| 日記
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