躰が良くない時には、どうしても笑う余裕がなくなってしまいます。自分で分かってはいるのですが、実際に躰が辛いときにはどうにもコントロール出来ないものです。でも、辛いときに笑うことで躰が回復することも実際にある話なのです。 病は気からといいますが、そこまで言わなくとも気持ちの持ちようで悪化を防いだり回復を早めたりすることはあると僕は思います。そういう研究も実際に進んでいるようでサイコセラピーなんてその一つです。具体的な面白い例では、大阪で行われている吉本新喜劇の興行には良く末期ガン患者専用の席が設けられていて、笑うことでガンの進行を遅らせることを目的に使われるそうです。 まあ、だからといってゲラゲラ笑っていれば何でも幸せに通り過ぎれるというわけではなく、もちろん真剣に取り組まないといけないことは人生に沢山あります。要はバランスが大事ということです。笑いが少なくなってきた自分の生活を顧みることが出来るなら、それをコントロールして少し楽しいことをするとか考えるとかは自分で率先してやるべきなのです。 僕は大阪生まれ大阪育ちですが、やっぱり学生の頃というと毎日が笑いで溢れていたのを思い出します。アメリカに行ってから何でも生真面目に取り組むようになったのですが、それでも僕は体の調子さえ良ければ普段の会話がボケやつっこみで構成されていたりします。だからなのか分かりませんが、僕は喋らなくなると大体調子が悪いのだと自分で思っています。 適量に笑いがある生活はやっぱり幸せだと僕は思います。大人になるほど人生は責任や建前でがんじがらめになっていきます。だから年を取ってもずっと笑っていられるなら、それはやっぱり幸せなのです。 僕はコメディアンという仕事をしている人々を本当に尊敬します。笑いを人に与える仕事なんて、誰にでも出来ることではないと僕は思います。自分がいくら辛くても、他人を幸せにすることだけを目的として笑いにすべてを捧げるなんて、まるで聖人のような生き方だと思います。まあ、僕にそういう生き方が出来ないからきっとそう思うのでしょうが。そりゃあ音楽を作って他人を幸せにするという仕事もとらえ方によっては聖人の生き方かもしれませんし、何とも言えませんが。 とにかく、とりあえず今の自分にはちょっと笑いが必要だなと思うわけです。こういうときはやっぱりパートナーがいれば色々話すことが出来るかと思うのですが、僕は一人ですから自分で何とかするしかありません。いくつかすでに対応策を考えているので、来週になったら色々やろうとは思っています。それまでは少し我慢です。
by Alfred_61
| 2008-03-06 01:27
| 日記
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