今日、運転免許の書き換えで資格審査を受け、ペーパーテストをその場で受けて満点合格ということをしていたのですが、まあ例のごとく審査にバカみたいに時間がかかり、午前11時前には書類を提出していたのに、実際全部終わったのは午後4時でした。なんだこれ。 というわけで、待っている間に少し足を伸ばして、京阪線の古川橋という駅まで歩いたのです。駅間を歩くことが好きな僕はその間に何があるのかを見たかったのですが、それと同時に古川橋とはちょっと僕にとって由縁のある場所なのです。目的地は思ったよりもなかなか見つからず、うろうろして回った結果、その建物を見つけました。建物の前にあるテナントを表示した看板に、目当ての名前がなくなっていたのですが、いざそこに行ってみると、やはりシャッターが閉まっていて何年も放置されているような雰囲気がありました。 その場所は大東楽器古川橋店に併設されていたライヴハウス"ウッドペッカー"です。ここでは、その昔僕のバンドが全員十代だったころにTeen's Pop Music Festivalというコンペに参加したのです。そして、その時の僕の年齢が13歳で、初めてミュージシャンとしてステージの上に立った経験がそれなのです。 あの頃はヴィジュアルムーブメントの最盛期で、X-JAPANがその頂点で活躍していました。僕たちがやった曲もX-JAPANの曲でした。その時代は所謂バブル時代のまっただ中で、全国の中高生はみんな一度はバンドをやっていたようなバンドブームの時代でした。ウッドペッカーもその恩恵を受けて、お金を持っているボンボンバンドキッズからお金を吸い取って成り立っていました。 ウッドペッカーの前で、5、6バンドがたむろして、みんな長髪だし金髪だしコスプレしてるような感じで、それはそれは異様な雰囲気でした。でもその渦中にいた僕にとってはそれが自分の空気であって、音楽を始めたときの匂い、雰囲気、ノリ、時間がそこにはあったのです。僕にとっての原点なわけです。けれども、今日、シャッターがかかって看板のなくなったウッドペッカーを見て、あ~、時代は変わっているんだな、としみじみ思いました。 社会も変わり、当然僕もあの頃から随分変わりました。やっていることは同じでも、もうあの頃の僕はいません。ウッドペッカーがなくなっていて、もうあの頃の僕を振り返ることも出来ないのかなと、そんな風にも思いました。振り返っている暇があったら前に進めということでもあると思いました。そして、あの頃の"バンド"という姿は今の時代にはそぐわないことも感じました。今は今のあるべき姿のバンドをするべきなんです。あの頃の焼き直しなんて、もちろん僕はするつもりありませんし、どちらかというと今の時代よりも先を進んでいるようなバンドを、今はしっかり準備できていると思います。とりあえず、前に進むか、と、ウッドペッカー跡地を見て褌を思い切り締め直しました。
by Alfred_61
| 2008-03-24 21:12
| 日記
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