ギャラって言葉がありますが、これって英語のGuaranteeで、直訳すると意味は"保証"になります。つまり、これだけは約束するよ、保証するよ、という意味なんですよ。そして、それを給料という形で月ごとの金額をギャランティーするのがつまりギャラという言葉の意味なんですね。 言い換えれば、もし自分のその次の業績が先月より良くて、自分が出した会社の収益が巨額になったとしても、その個人にはギャラしか入らないのです。そう、最初に"これだけだよ"と言われた分しか入らないのです。多少の変動では、今の民間企業でもそういう風習は続いています。もちろん、あまりに大きな業績をあげた個人には特別ボーナスとかスピード昇進とかが与えられますが。 でも、一番大元の会社そのものの収益って月ごとに全然違うわけで、会社を所有している人にはギャラという保証はなく、それこそ今年6000万の収益が出ても来年は社会変動や天変地異で収益が-6000万になるかもしれないのです。中小企業なんかの場合や、その下で"エージェント"として働いている人たちもそうで、彼らの収入形態は"ギャラ"ではないんですよ。仕事があればあるほど儲かるし、仕事が少ない時期なら儲けも減るのです。 で、考えたのですが、芸能プロダクションなんかに所属して音楽をしている人たちって、つまりプロダクションからギャラという形で給料を貰っているわけですよね。一本いくらの仕事とかいう感じで貰っているならそれってエージェントじゃないですか。"所属のプロ"ということはつまりギャラでお金を貰っているんですよ、きっと。そして同時に社会保障を受け、会社の健康保険に入れるわけですね。でも、エージェントの人たちはつまり自営業と同じですから、自己管理なんですね、すべて。 思うのですが、やっぱり良い仕事をしたらそれ相応の見返りが合ってこその芸術だと思いますし、同時に悪い仕事をする芸術家にはまっとうなお金は入るべきではないのです。ろくでもないことしかしないのに情けで"ギャラ"を貰って生活している人だってやっぱりいるわけで、それくらいなら本当に実力があるのにチャンスに恵まれずにくすぶっている人たちに何かを還元してやれば良いのにと僕は思うのです。 芸術家は全員自営業であるべきだと僕は思うのですよ、本音では。他人を巻き込むことによって生まれるワケの分からない責任や義務感がやはり作品の質を落としているのは明白なのです。もっと危機感を持って、そして自分の作品がどれくらいどういう形で社会から評価されるのかを自分の目で肌で感じてこそ本気の音楽が、芸術が生まれると僕は思います。明日なんてギャランティーされていないのが当たり前なんですよ。特に僕たち芸術家の人生ではね。それなのに芸術家がサラリーマンになるというのはこれまた滑稽な現象ですし、そうやって"保証"された状況に入ることを"プロデビュー"と表現する今の日本社会はどうしてもどこかずれているようにしか僕には思えないのです。
by Alfred_61
| 2008-04-25 13:51
| 日記
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