世界は常に自分という中心点の周りに起こります。自分があり、そして周囲があり、その二極性が不思議な状態を作ることがあります。不思議というか、考えてみればそれは恒常的なものなのですが、あまりにそれが当たり前だから疑問を持つことがないのです。 自分には自分の時間の流れ方があります。自分が年をとる速度と、周囲が自分を見たときに推測される年齢の取り方には必ず差異が生じるのです。自分がずっと成長していないのに、世間的に時間が経って年齢が上がっていればその人が成長していると周囲は信じて疑わないのです。年齢が高いのに中身は子供のままの人だっていますし、逆に年齢は若いのに中身は残念ながら相当に年をとってしまっている人もいるのです。 僕は、周囲の時間に追い立てられた経験がないのです。僕は、基本的に自分が先を歩いていてそれに周囲がついてくるのを待つということを続けて今まで生きてきました。周囲の時間よりも、僕の時間の方が流れる速度が常に速いのです。それを昔の恩師などは「お前は生き急ぎすぎだ」と言いました。そうかもしれません。僕としては、ただ少しでも早く今より先にある世界が見たいだけなのです。 自分がいくら焦ったところで、自分の時間がどんどん先に進むだけで周囲の時間は速度を変えずに一定で進んでいきます。周囲の時間から自分が遅れて生きている感覚があるなら、きっとそれはストレスになるでしょうし、劣等感や緊張に繋がるでしょう。自分が周囲よりも先を進んでいる場合は優越感に陥ったりすることもありますが、そんな感情を感じずにただどんどん進んでいく人は、ある一点でガソリンが切れてブツリと倒れてそれ以上進めなくなったりします。僕は、自分がその類であることを自覚しています。 だから、たまに意図的に周囲の時間が自分の時間に追いつくのを待つのです。実は、僕はこの待つという時間が非常に嫌いです。そしてここ数日間はこの待つという時間を過ごしています。進むだけ進んでしまったらそれだけ反動がきついので今のような時間も大切なのですが、それでも僕にはこういう時間が何よりもストレスになります。
by Alfred_61
| 2008-04-26 00:55
| 日記
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