結婚式場でDJの仕事を始めたのですが、いやはや、これは本当に音楽家として経験値が上がります。まずは選曲の段階から新郎新婦にお勧めを紹介したり、はっきりとイメージを持たれてる方々にはそれをどうやってちゃんと表現するかを考えたりから始まります。披露宴自体でのDJはそれなりに楽しく、まだまだ不慣れな事も多いですがすぐに色々身につけて、僕の考える格調高い披露宴を作り上げられたらなと思います。 しかしまあ、音楽には純粋に楽しみや喜びを表現しているものがあります。やはり披露宴なんてお祝い事の場面では、ノスタルジックにムードある曲よりも、単純で、分かりやすくて、音が大きくて、イヤな言い方をすると空っぽの頭で作ってるような曲のほうが受け入れられやすいんですね。 クラッシック系を好まれるお客さんももちろんいるわけで、そういう場合には僕は実力を発揮しますが、それでもクラッシック特有の問題がいくつか出てきます。まずはクラッシックの曲とは単純な感情表現で作られてはいないということです。喜びも悲しみも内包して、それで結果的に喜びが前面に出る曲だとしても、やっぱりそこには人の複雑な感情が表現されていて、ただ楽しくて盛り上がれる時間を作るにはクラッシックは崇高過ぎるんですね。 それに、当たり前ですが音楽には喜びの曲以外に数多の感情を表現した曲があります。僕は基本的に昔からその喜び以外の音楽を沢山聴いてきたのですが、それでいまDJをやる事になって明るい前向きな曲を探すと、それがかなり少ないことに気づきます。特に自分が書いてきた曲、いやはやホントに一曲として単純に楽しさを表現した薄っぺらい感情の曲ってないんですよ。これはこれでなんというか複雑な気分です。 まあ、結婚式披露宴で使われる音楽なんて本当に狭いジャンルのものですから、音楽そのものと向かい合っている僕にとっては所詮そういう場面で使われる曲というのはほんの一つの可能性でしかないんですね。実際、9月に結婚する親友の為に"Til Death Do Us Part"という曲を書きました。これは本当に喜びと希望に満ちた曲ですが、そんな単純な言葉では片付けられない複雑な感情が編み込まれています。 うん、イヤな事をまた言いますが、そういう深くて崇高な感情の螺旋を理解してくれる新郎新婦がこの世のすべてではないんですね。それが残念ながら現実です。チープでホロウヘッドな雰囲気作りも僕はDJとしてしなければいけないわけで、それは僕の経験値になります。自分がいざ本当に理想とする披露宴の音作りをする時の参考になります。 奇しくも先日、僕の書いた"Song of the Sea"というバスクラリネットとピアノの曲が10月に愛媛県松山周辺の3、4カ所で演奏される事になり、またこの曲と僕が披露宴で回す曲達のことを考えるきっかけになりました。音楽の意味って、一体何なんでしょうか。そりゃあ答えは十人十色の相対的なもので、自分が自分の答えさえ持っていればそれでいいことなのですが、作る側としては色々考えるわけです。僕は、究極的には音楽は救いであると思っていますが、披露宴なんかで軽々しく場を盛り上げるために使われる音楽達を聞いていると、複雑な気持ちになります。お客さんが喜んでくれればそれでいい、のでしょうか本当に。何か、そう信じてしまうと見えなくなってしまうポイントも音楽にはあるように、僕には思えて仕方がありません。
by Alfred_61
| 2008-06-18 01:03
| 日記
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