結婚式披露宴のDJの仕事を始めて、どうにも自分の持っている音楽に対する漠然とした世界観が世間一般やああいう華やかな舞台のそれとは違っていることに気がつきました。例えば、僕は昔からクラッシックを聴いていても俗に言う"格好良い"曲が好きで、モーツァルトやハイドンが沢山書いたような華やかな音楽というものはあんまり好きではなかったのです。好きではない以上に、こういう音楽って本当に需要があるのか疑問で仕方がなかったのです。 今週ずっと自分の持っている何百枚ものCDからクラッシックの華やかな曲を集めてデータベースを作っていたのですが、これが不思議なことにこういう具体的な理由で音楽を選り分けていくと、かつては僕が嫌っていたモーツァルトやハイドンがより良く当てはまるのです。そんなことをしていて、はあ~なるほどそういう場面でこういう音楽は使われることを見越して作られていたのか~、ともう10年以上クラッシックを勉強してきて初めて理解しました。 しかしまあ、それにしてもお客となる新郎新婦の方々はそりゃあもう十人十色の趣向を持っていて、もう全く同じ曲目で出来る披露宴はないんじゃないかと思えるほどヴァラエティに富んでいるのです。そんな感じの環境に入ってみて、やっと相対的音世界というものは存在するのだということが強く実感できました。 自分が無意識のうちに信じ切っている"音楽とはこういうものだ"という観念は、実は個人個人で全く違っていて、それは社会全体を見ても絶対に法則性もなければ一様でもないのです。これで何が言えるかというと例えば"売れ筋の音楽"って、実はそれ、根本的に絵に描いた餅なんです。そんなものが大勢の人の相対的音世界に当てはまるなんてことは、はい、あり得ないのです。何度でも言いましょう、"売れる音楽"って、それは実際には存在しない蜃気楼であってそもそも音楽が音楽である以上あり得ないのです。 本当は貴方が感じている音楽という世界観は、貴方という座標軸からしか捉えることが出来ない特殊な世界なのです。最近の流行曲ってあんまりよく分からない、というのはこれは当たり前のことであって、流行曲が自分の感覚に合っているという人が本当にいるのなら会ってみたいものです。 いつの間にか自分が見ている世界は同じように他人も見ていると思ってはいませんか。それは大きな間違いであって、きっと漫画やアニメのように他人の身体に意識だけ入ってしまったりした場合はまず最初にその世界観の違いに驚くことでしょう。音楽なんかはそれが露骨に表れる所であって、僕たち作る側もそれをプロモーションする側も本当は音楽というものがそういう相対的な世界観の上に存在している特殊な芸術であることをきちんと理解した上でビジネスなりなんなりしないといけないんですよね。はぁ。こういうこと、ちゃんと分かってくれるプロモーターとかレコード会社とかプロダクションとか、どこかにないかな。
by Alfred_61
| 2008-06-21 01:01
| 日記
|
ファン申請 |
||