夜という時間は特別だと僕は思います。かつて電気が使われていなかった時代、人は日が暮れると仕事を止めほどほどに寛ぎ眠りました。そして日が昇る前に起床し、太陽が昇る間はきっちり表で活動していたのです。夜の暗がりで火をたき続けることは危険を伴い、さらには管理や費用の問題で一般の人々にはあまり出来ないことだったのです。 昔の作曲家の逸話などで、例えばハイドンは午前中に必ず毎日二曲の交響曲を書いていたそうです。シューベルトも日中に必ず決まった時間を作曲に使っていたといいます。ブラームスなどは必ず一日に一度公園を散歩しては曲の構想を練ったそうです。 電気が普及した現代では、夜も人は昼と変わらず活動するようになりました。昔の名残で朝9時から夕方5時まで働くという暗黙の社会ルールが今も存在しますが、社会でも分野によっては特に昼夜の区別がない業種も現代には沢山あります。芸術の特に創作の分野は、僕は何故か夜にとても深く関連していると思うのです。 いつかあの画家が言っていたのですが、創作は夜に起こるもの、なんだそうです。確かに僕もそれには強く同意します。夜という時間に身を任せ、静寂の空気を胸一杯に吸い込むと、何故か頭がスッキリしてきて一つのことに深く集中することが出来るのです。それは創作の集中には理想に近い状態で、その時間帯に沢山の作品が作られることも頷けます。 夜の女神ノクトは、確かに特殊な神様なのだと僕は思います。ノクトの魔法にかかっていると、僕は曲を沢山書くことが出来ます。でも逆に太陽が出ている間・・・いや、僕の場合はもっと具体的に言うと他人が活動している間は、どうしても自分の世界に集中することが出来ません。他人になんと思われても自分の世界に集中していたアメリカでの修業時代は、僕は"笑わない男"とずっと言われてきました。 あの頃の自分と、最近の自分、どうにも似ているのです。アメリカを離れて日本に戻り、他人とはより近く接するようになったと自分では思っていたのです。けれども最近の自分を振り返ってみれば、不思議に仲の良い人たちと妙な沈黙になったり、話が続かなかったり、変に気を遣わせたりするのです。確かに最近、あの頃と同じくらい強く一つのことを考えて生活しています。それを他人から見ると、どうしても僕の体調が悪いのだとか、怒っているのだとか、色々と誤解されるのです。 今の僕には夜の魔法がどうしても足りません。毎朝の出勤時間が一時間遅くなり、その分夜は一時間余裕が出来ているはずなのに、どうしても付き合いで終電まで飲んだり、持ち帰りの仕事を遅くまでやったりしていると、作曲に使う時間がほとんどなくなってしまいます。書かなければいけない曲があり、それを書きたいのはずっとそうなのですが、どうしても今は時間と言うよりも自分の精神に余裕がありません。新しい職場環境、新しい服装、新しい人たちと共有する毎日、そういう時間というのはどうしても想いだけ先行して何も具体的に形になりません。もっと夜に活動したいのですが、無理をするとすぐに動かなくなるからだが本当に恨めしいです。
by Alfred_61
| 2008-09-28 23:54
| 日記
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