高校生の頃に初恋を経験して失恋も経験して、きっともっと年を取ればもっと上手く恋愛も出来るし人生自体も上手く生きられるようになると思っていました。けれども大人になって余計に難しくなったこと、大人になっても結局簡単にはならなかったこと、それらは本当に沢山あって僕は今もその一つと向き合っています。 一つ、気づいてはいたけれどどうしても僕が大人になった今でも下手くそなことがあります。それはスキンシップです。文字通り、肌と肌が触れ合うことによって、言葉では伝えられないレベルで人と人とが交流することをそういいます。至極単純なことで、例えば日本語の"手当"ってどういう語源かご存じでしょうか。これは昔まだ医学の発達していない頃の日本で、病にかかったり傷を負った人の患部に他の人が実際に手を当ててあげて病の回復を早めたという歴史から来た言葉なのです。今では手当といえばなんだかとても医学的で科学的なことのように思いますが、例えばお腹が痛いときに誰かにお腹をさすってもらうと不思議に痛みが和らぐ、あれが本当は手当というものなのです。 手と手を重ねることで、お互いの想いを感じること、きっとほとんどの人が無意識レベルで一度は体験したことのあることだと僕は思います。誰かに想いを打ち明けるとき、僕は確かにまずはその人に触れて、そこからその人のエーテルを感じ取ってその人の心に自分の心を近づけます。そんな単純なことなのですが、僕はこれが非常に下手で、自分から人とわざと物理的な距離をとったりしてしまうのです。 かつて師匠のオフィスにレッスンに行くとき、まず最初はお互いの肩を組み合う挨拶が暗黙の僕と師匠の約束でした。もちろん相手は50代後半のおっさん。けれどもそれでまずはお互いがその日どういう状態にあるかを感じあったのです。僕も師匠もまっとうな作曲家でしたから、そういう感受性は人一倍強かったのです。いつしか師匠と僕は深く理解し合うようになり、結果として僕が卒業して半年間経った後、師匠は僕レベルの生徒がいなくなった学校に嫌気がさしてさっさと教職を辞めてしまったのです。 お互いのエーテルが重なる人同士なら、抱き合えば大体相手のことが分かるものです。欧米文化のハグも、きっとそういう起源なんじゃないかと僕は思います。他人と心を、エーテルを重ねることを一度経験してしまうと、まるで自然の摂理のように僕たち人間はそれを繰り返し求めるようになります。それは自然が僕たちに与えた感動や、生きるという実感や、充実なんだと僕は思います。
by Alfred_61
| 2008-10-12 23:38
| 日記
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