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実は先週末に日帰り手術を受け、それから毎日術後の経過を看て貰う為に医者に通っています。全くもって下らなく、そして深刻で最悪な病だったのですが、普通は入院するところを日帰りで事は済み、今日も痛み止めを飲んで仕事には行きました。でも、明日から週末までは恐らくお休みを頂く事になりそうです。 今月頭にアメリカに行ってからずっと考えていることを、このタイミングで考えながら曲を書いたり納税の準備をしたりしようと考えています。サンタバーバラの海岸線を数時間かけてジョンと歩いていたときに僕が考えていたこと感じていたことは決して海の美しさだけでも広がる空の青さだけでもなかったのです。 世界はそこにあって、僕はここにいて、色々とところにルールや通念があり、けれども基本として僕と世界という位置関係は変わらない。問題は世界を捉える僕という座標軸から何がどういう風に見えどういう風に感じられるか、ただそれだけなのだと。僕はサンタバーバラの海岸線を歩いている間に"Blue"というタイトルで3つのアイデアをスケッチしました。 出来ることならば金なんて考えなくても良い世界に生きたい。出来ることならば生きようなんて考えなくても良い世界に生きたい。今やっている生活のための仕事はどう考えても頭打ち。僕はその仕事の世界で今以上の立場にも成功にも到達することはないでしょう。それでも良い状況なのだからわざわざ何もかも捨てて辛い方へ進まなくても良い、というのは他人の身勝手な意見でしかありません。 明日から数日間、僕はBlueという3つの曲をSOUND GATE ZEROの為に書きます。生きようと思えば楽に生きられるのに、という意見も他人の身勝手です。目先のことなんて小さなもので、ずっと先まで歩くであろう道のりを考えるとどうにもバカらしく思えることがあります。今は今であり、世界と僕は今もここにあるのです。"Blue"はスケッチとしては3曲あります。でも、結果としてどうなるかは分かりません。でも、"Blue"は今の僕の心が非常に強く表れた曲になると確信しています。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-27 23:55
| 日記
印刷なんて良い例です。昔はそもそも紙は高級品であり、そこに印刷するというのは人間が手で原本を模写していくしかなかったのです。しかし活版印刷が発明され、それまで手で模写していた人たちは職を失い、新しいシステムに適応した人だけが生き残り、それは法人企業でも同じでした。タイプライターが発明され、それまで活版印刷の字を拾う仕事をしていた人たちは職を失い、タイプライターという新しいシステムに適応できる人達だけが行き残り、もちろん法人も同じでした。 要は、時代は移ろいゆくわけで、テクノロジーや文化の進化に伴って社会が必要とする(需要)ものは変わっていくのです。今まで手書きが当たり前だったんだから、手書きを続けていけば人生は安泰だ、なんてまあそんなバカな話は根本的にあり得ないんですよね。ただ、別に手書きが"悪い"と言っているわけではありません。単純に、社会の需要に対して供給側が随時適応していかなければそこにビジネス及び経済は存在出来ないことは事実なのですが、だからといって今まで続けてきた歴史や文化の"価値"が無くなるかと言えばそうではないんですね。無くなるのは"金銭的価値"だけです。 時代が移ろえば、最初は全く経済的な価値のなかったものでも、それに社会が追いついてきて突然"金銭的価値"を持ち始めることもあるんですよね。日本で最近あったのは18禁の美少女ゲームと呼ばれていたジャンルですね。僕はこのジャンルが始まった頃から知っていますが、制作側からするとま~あ当初はこんなものビジネスというよりただの趣味であって、まさかこれで大金を稼ぐとかメディアミックスされてポピュラーになるとか昔のメーカーさん達は想像もしていなかったでしょうね。 でも、昔は本当に皆さん、自分たちが本当に好きでそこに自己表現の可能性を見いだして実際に実行していたんですよね。それがいつの間にかテクノロジーの進化や文化の変化が絡んで、18禁ゲームだったものがアニメになって地上波でテレビ放映され大きな経済効果をもたらすような時代になったんですよね。同じような例ならアニメの"声優"という職業なんかもそうですね。そんな職業、昔は存在しなかったんですよね。 さて、音楽の話をしよう。音楽において、経済的な意味自体がここ10年内くらいにがらりと変わりました。今まで"金銭的価値"があったことは、最早これからの時代に経済効果を生まなくなりました。繰り返しになりますが、だからといって今までの音楽製品が"価値"を失ったかというと別にそういうわけではありません。単純に経済の輪から外れただけのこと。 なんだか僕のMyspaceアカウントにオンラインプロモーション企業の宣伝が来るんですけどね。その内容を見ていても、"より多くのファンを獲得する"とか"世界中に情報を効果的に発信する"とか、なんだかそれに一体何の意味があるのか全く僕には理解出来ないんですよ。僕の音楽にはきちんと価値がありますが、だからといってそれを金銭的価値に結びつけなければいけないか、結びつけることを望むのがミュージシャンとして当然のことなのか、そんなことを他人や社会に強要されたくはないですね。 昔18禁ゲームを作っていた人たちとノリは似ていると僕は個人的に感じているんですけどね。僕はただ作りたいものを作っているだけ。それが18禁ゲーム業界のように経済の波に乗る未来を手にするかどうか、それは僕が決めることではないですし、僕が気にすることでもないと僕は思っています。昔の18禁ゲームクリエイター達は当然ですが"流行っているから"やっていたわけではありませんし、パトロンを納得させられるほど過去に明確な実績がある実例がある上でやっていたわけでもありません。ホント、単純な話だと思いますよ。門外漢の邪推ですが、きっと皆さんただやりたいからやっていただけだと僕は思います。 なんだかここから大きな話の出だしだけ書きますが、クラシック音楽ってまさに印刷が無かった時代に手書きで模写していた文化と似ていると僕は感じています。金銭的な価値が無くなってもきちんと続けている人たちがいるのは大したことだと思いますが、だからといってクラシック音楽を勉強したすべてのミュージシャンがその立場を目指さなければいけないかというとそうではないですよね、当然ですが。そもそもミュージシャンとしての能力は他のジャンルに比べてとてつもなく高いクラシック畑出身のミュージシャン達が、どうしてもっと"やりたいこと"をやらないのか、それが僕にとっては長年の謎なんですけどね。 経済的価値が"価値"のすべてだと勘違いしているのでしょうかね。そう教えられてただ信じているだけなんでしょうかね。まあ、他人のことはともかくとして、僕は僕の人生を生きるしかないんですけどね。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-23 23:55
| 音の考察
当然ながら、個人事業主になって今年で4年目、3度目の確定申告の準備をしています。2011年度はそれはそれは大変な1年だったので、もうあれやこれやまとめることが多く、帳簿作りだけでとてつもない労力を使っています。 本当はSOUND GATE ZEROの次の曲を書きたくて仕方ないのですが、それでも個人の申告締め切りは3月15日。その期日だけは待ってくれないのでとにかく先手を打って情報の精査をしておかなければいけないのです。 とはいえ、次の曲の構想は既に頭の中に結構あり、Piece 8として出来る限り今浮かんでいるアイデアを詰め込んでみようと思っています。ジョンはお兄さんと一緒に中西部でのギグ2本を終えて、次のシアトルへ向けて休養中みたいですし。休養中というか、ジョンも自分の演奏会の演目をすべて暗譜するために日夜練習しているんですけどね。 ジョンの演奏会には僕の曲が2曲も入ります。本人も言っていましたが、西海岸だけでなく色々と回りたいと考えているようで、それこそラスベガスなんかでも演奏してみたいと言っていました。僕としては何ともありがたいことで、自分の曲が色んなところで色んな人に聴いて貰えるチャンスです。しかも、ジョン・アステアという僕の音楽を心底大好きでしかも理想通りに演奏する技術を持っている演奏家が演奏してくれるのですから、これ以上何を望めばいいでしょう。 僕は当然ながら、ジョンが演奏会で得た収益はすべてジョンに入るように一筆書いてあります。言い換えれば、ジョンが僕の曲を演奏して得たお金を、僕は一銭も受け取らない、という証明書ですね。僕はお金のために音楽しているんじゃないので。 さてさて、帳簿もあと3ヶ月分作れば完成です。明日には出来上がるかな・・・厳しいかな・・・。とりあえずこれを潰してしまって、僕ももっとやりたいことを色々やろう。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-20 23:55
| 日記
"Priceless"ですが、別に値段が付けられないという意味ではなくて、どちらかというと値段では計れない、という意味だと僕は個人的に思っています。ここには結構僕が作曲をしていく上で、書いている曲それぞれに対する感覚のクルーがあります。 今回のカリフォルニア滞在でまさにPricelessなものを現役カウボーイのギャリーさんから貰いました。ギャリーさんが持っているカウボーイハットの中で最も古いものを頂いたのです。実際にモノを見てみると、穴が空いていたり長年の汗や泥も付いていて、雨に降られたり風に飛ばされたりと、このハットが見てきた歴史がそこには力強く刻まれているのです。 ジョンのお母さんはドロドロの帽子なんて、と嫌そうな顔をしていましたが、僕にとってこのハットはどこでどんな高い値段を出しても買うことが出来ない、世界にたった一つしかないオリジナルで崇高な価値のある最高のプレゼントなのです。ギャリーさん自身ももう新しいものを使っているので僕が頂いたものはもう使っていないのですが、けれどもずっと捨てずに持っていたのは彼にとってこれが自分の歴史だったからだと僕は思います。そんな大切なものを頂いて、本当に嬉しかったです。 今年内になるかどうかは分かりませんが、僕の方で新しい曲が増えて、ジョンの方のプロジェクトが落ち着いたら、今度はジョンが大阪に再度訪れて、その際にはSOUND GATE ZEROの初ライヴを大阪のとあるライヴハウスでやります。その時には、ギャリーさんのハットを、僕は被って演奏します。彼へのオマージュでもあり、同時に僕が音楽へ捧げている想いとこのハットをシンクロさせる意味でも、必ず初ライヴでこのハットを被ります。 ジョンのお母さんのように、このハット自体にそこまでの価値を見いださない人も世の中には数多くいるでしょう。日本風に例えるならこのハットは何十年も使い古した剣道の小手や面のようなものでしょうか。けれども初めてその人が全国大会で優勝したときに使っていた小手、という感じのものですかね。それが汚いと言うのは簡単です。けれども、僕にとってこれを被ることはその人の歴史や想いも一緒に被っているのだと感じます。大切にしますよ、本当に。 お金を出せば手に入る高級品はいくらでも世の中にあります。けれども、お金を出しても絶対に手に入らないものも、世の中には沢山あります。僕は、自分の音楽を後者の価値を持つものとして制作しています。お金を貰うための音楽は、もう僕にとってなんの意味もありません。僕が生きてきた人生には、もうプライスレスな人々の想いや願い、喜び、悲しみ、無念さ、希望で埋め尽くされています。僕にとって作曲とはそんな物達の結晶であって、決して大スターになるための道具ではありません。 僕の音楽はプライスレスでありたい、いつもそう考えています。だからこそ、僕は基本的に2011年以降に発表した自分の音楽では、対価としてのお金を一切拒否しています。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-18 23:55
| 音の考察
ジョンとの会話で出てきたことですが、ハイドンって一緒に酒を飲んだらかなり楽しい作曲家だろうな、とジョンが言いました。僕とジョンがここで話をしていたのは曲の善し悪しの話ではなく、作曲者が音符を書いていく上でどういうことを感じ考えていたのかを音符から読み解く上での話です。ハイドンという作曲家は、本当に曲を書くことを愉しんでいたんだろうな、とそれぞれの曲から感じるのです。 で、曲を書くときに"愉しんでいた"作曲家と"苦しんでいた"作曲家、という話を完全に独断と偏見で二人して酒を飲みながら話をしました。お互いにとりあえず出てきた名前はヴィヴァルディ。そこから始まって、実際のところ古典派以降よりもバロック以前の方が愉しんでる作曲家が多いような気がする、という話になりました。僕は続いてテレマンが出てきました。そして、僕がそこで続けたのは、ヴィヴァルディと同じ時代に生きたバッハが最もヴィヴァルディに対して嫉妬していた部分がそこだったんじゃないのかな、という話でした。真偽はともかく。 そして時代を進めて行くと、やっぱり面白いのがブラームス周り。シューマンなんてWidmungを書いていた時の溢れんばかりの喜びとそれ以降のどんどん沈んでいく気持ちがね・・・同じ作曲家として聞いていて辛くなる時があります。ブラームスに関しては、大抵曲全体はこうしなきゃあああしなきゃという苦しみが基本となっているのですが、交響曲4つなんてすごく良い例で、長い曲の中に時々ブラームス自身が愉しんで音符を書いているところが出てくるんですよね。そこに綺麗なメロディーがあるとかそういうことではないんですが、演奏者や作曲家としてジョンと僕はそういう感覚を共有出来ます。その、苦しみの中に出てくる喜びの何とも感動的で気持ちの良いこと。余談ですが、ブラームスの喜びだけで作った曲と言えば恐らくこの1曲だけ・・・僕の知る限りですが。(ちなみにこの曲の背景、勉強すると泣きそうになりますよ。) 最後にちょっとだけ、バルトークとコダーイの話をしました。この二人は同じ時代に生きながら辛い道を選んだ方と愉しむ道を選んだ方とに分かれると僕は思う、とジョンに話したら、ジョンはそんなにコダーイの曲を知らないから何とも言えないと言って、話はその辺りで終わりました。 生きている人間をこういう話に引っ張り出すのはどうかと僕自身は思いますが、ハイドンのようにひたすら曲を書くことを愉しんでいる、生きている作曲家の例は菅野よう子だと僕は個人的に感じています。この人のやっている内容はともかくとして、こんなことまで愉しんで出来るのかいアンタは!とただ氏の曲を聴いているだけで感じることがとにかく多いです。これも余談でしたかね~。 自分の人生、生きるということを"愉しい"と感じるか"苦しい"と感じるか、そういう辺りって自分では努力して変えようとしてももう生まれてから今まで生きてきた時間が自分というスタイルを作ってしまっていて、なかなか逆側へ行こうとしても難しいのが現実です。作曲家が曲を書くということを愉しむか苦しむかという話は、言い換えてみればそういうレベルの話なんですけどね。もしかしたら伝説の作曲教師Nadia Boulangerは教え子達にそのレベルまで教えることが出来たのかもしれませんね・・・これも個人的なただの邪推ですが。 でもね、多分本当にハイドンと酒を飲んだら、「俺はそんなこと全く気にしちゃいないね!」と一笑に付すと思いますよ。はっはっは。音楽ですからね。ごちゃごちゃ考えるよりも愉しめよ!と言いそうです。重箱の隅をつつくのも時としては必要なのかも知れませんが、考えたってどうしようもないことだってある、ってことでしょうけどね。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-17 23:55
| 音の考察
音楽史を勉強した人なら古典派とロマン派の一番大きな違いは何かと言われると簡単に答えられるでしょうが、今日は学術的なことはともかくとして僕個人の完全に勝手な解釈と感覚の話でその部分を書きます。 古典派はつまり形式をひな形にしてその中で出来ることをやっているのですが、同時に形式に従うことは当然のことでありその枠組みから"意図的に出ない"という音楽の流行のあった時期のことだと僕は考えています。ロマン派はその枠組みに収まらないなら収まらないように曲を書こう、とした人たちの時代ですね、簡単に言えば。 個人的に、古典的な曲の中には、「これ、ここまででええんちゃうの?何で続くん?」と思う曲がいくつかあります。昔から思っているのがベートーヴェンのピアノソナタ第8番の第3楽章。これって提示部だけで曲として終わってる気がして仕方がないのです。アイデアとしてはそこまでで終わるべき曲なのに、"ピアノソナタだから"無理矢理次のコードをジャーンとならして中間部に入っていくあの感じが、僕はどうしても同じ作曲家として曲のアイデアに対するエクセキューション(この場合はコンポジションか・・・)という意味でどうしても蛇足なことをしているようにしか感じられないのです。 続いて同じような例でロマン派の作曲家ながら古典を模した作曲家ブラームスの間奏曲op.118-2ですが、これは単純に中間部がいらない気がするのです。シューマンがトロイメライでやったみたいに、中間部をごっそりなくして提示部の次にすぐ再現部を持ってくれば良いんじゃないのかなとずっと僕は思っているのですが、残念ながらブラームスの悪口を言うとアメリカ学術音楽界ではボロカスに、まるで人間じゃないかのように批判されたので昔はこんなこと人前で言えませんでした。 変な例もあります。メンデルスゾーンの歌の翼に載せての2番、なんでこれ3回繰り返すんでしょうね。普通はトロイメライとかショパンの前奏曲なんかにも見られるように2回の繰り返しがしっくり来ることが多いのですが、この曲3回なんですよね~。でも、3回繰り返すことがとてもこの曲の基本アイデアに対して正しいことをしているように僕は感じるのです。メンデルスゾーンの作曲家としての感性の強さをとても感じる曲です。 "何故"そうするのか、"何故"そのアイデアをそういう風に曲として仕上げていくのか、そこに作曲家としてのポリシーや人間性や世間の流れや哲学や純粋さなどが加わって、曲は曲と成るわけです。そのアイデアを何回繰り返すか、なんの形式に当てはめるか、そこを流れ作業や惰性で決定して曲を書いていると結局いくらアイデアが良くても曲は響きません。変な意味ではありませんが、そういう意味ではヴァーグナーという作曲家は恐ろしく自分の意志と感性を貫いていて、決して人から影響されるのではなく人を影響させるべく曲を書いていました。作曲家としてはとてつもなくレベルの高い人であったことは間違いのないことです。(それ以外はともかくとして。) その上でいざ自分が書いている曲を見つめてみると、さて、自分は本当にこのアイデアに対して適切なコンポジションを行ってあげられているのか、それが不安になります。作曲家には答えがありません。求めても答えなんてどこまで行ってもないのです。だからこそ曲を書く、と言ってしまえばなんだか煙に巻いたようになりますが、ホント、そういう感じなんですけどね。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-13 23:55
| 音の考察
僕としては社会通念的にどう間違った用語の使い方やイメージが定着しようが知ったことではありませんが、とりあえず少なくともここのブログで書くそれぞれの用語を簡単に説明しておきます。 不協和音というのはつまり"協和音ではない和音"のことを意味します。結果として"気持ちの悪い和音"となることは確かに多いのですが、事実として"気持ちの良い音のする不協和音"というものは論理上存在します。それもかなり沢山。協和音とは、何でも良いのですが1つの音階(Cメジャーで言うところのドレミファソラシ)7音それぞれを根音とした音階上の3和音(ドミソ、レファラ、ミソシ、ファラド、ソシレ、ラドミ、シレファの7種類)を差し、これら以外の和音を不協和音と言います。 つまり、V/V(属和音の属和音)はCメジャーで言うとレ・ファ#・ラなので、ファ#を含んでいる以上これはれっきとした不協和音です。はい。これ、ドミソと同じ長三和音ですね。でも、不協和音です。この例をさらに使うと、不協和音とは協和音を導くための和音のことであり、決してただ人に不快感を与えるために書かれる和音のことではありません。ちなみに、僕は何の意味もない"気持ちの悪い和音"は単純に"雑音"と呼びます。ついでですが、協和音であるシレファですが、これは"気持ちの悪い和音"ですよね、誰が聞いても。不協和音であるレ・ファ#・ラは"気持ちの良い和音"ですよね。ま、そういうことです。 そしてこの協和音7つを元に構成される和声進行法則と終止形(カデンツ)のことを"機能和声"と言います。和音を"機能"させるという意味で言うと別に無調音楽でも出来るんですが、僕は協和音を元に作られる上記内容を"機能和声"と呼びます。つまり、トニック、サブドミナント、ドミナント、などという言葉でコードを呼び始めたらそれはもう機能和声です。まさにこの3つの言葉は"そういう"意味ですからね、英語では。 この"機能和声"の法則からはみ出した音楽はつまり"無調"音楽ですよね。"トニック"が存在しないならそれは調性が無いわけで、つまり"無調"です。でも、無調音楽イコール"気持ち悪い音楽"ではありません。これが良い例かどうかは知りませんが、例えばこんなものもれっきとした無調音楽です。ちなみに、僕の音楽はすべて無調です。僕は機能和声の曲は実は1度も書いたことがありません。それこそ練習としても書いたことはありません。大体は分かっていながら法則を僅かに外して自分の音楽にして授業の課題を提出し、講師にはそのズレを気づかせないとか、そんなのが僕は大好きで、いつもそんなことばかりしていました。 全く、帰国してから時差のせいで全然記事を書けていませんが、書きたいことは山ほどあるのです。曲の"長すぎる"とか"蛇足"とかいう話を次には具体例を出してしたいんですけどね。クラシックの曲には沢山「この曲ここで終わりでエエやん」という曲があるので。作曲家の考え方と絡めて次回はちょっとそんなことを書きます。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-12 23:55
| 音の考察
帰国してほぼ丸1日、疲れと時差のせいで眠っていました。帰って来るなり妻からは痩せたと言われたのですが、「まだ身体がカリフォルニアタイムやからな!」と毎回答えていたらイラッとすると言われました。 僕がお世話になっていたアステア家は牧場経営で生計を立てており、お父さんはもう75歳になりジョン以外の子供達はすべて独立していて別々の州に住んで別々のことをしています。僕が見ていた限り、現在牧場経営を任されている雇われのカウボーイ、ギャリーさん(65歳)はジョンに今後の牧場経営を引き継いで欲しいっぽかったです。 牧場経営の詳しい内容を僕は今回初めてギャリーさんから説明されましたが、非常に興味深かったです。雨が降るか降らないかで牧草の状態をしっかり見極め、状況次第ではビタミンや栄養分を詰めた大きなバケツをあちこちに置いて牛達に食べさせ、それを日毎に移動させたり、なんてなかなか実際にお手伝いさせて貰う機会は今までの僕の人生でありませんでした。 しかしまあ、アステア家はそれだけ広大な土地と、自然に繁殖して毎年必要な分だけ売ってもどんどん次が生まれる数の牛を持っていて、流通の経路もしっかりと人と人レベルで繋がりを持っていて、つまりは安泰なわけです。子供達がいなくなった分、アステア家がロサンゼルス近郊に持っている土地や家はご両親やジョンか妹のジョアンナが使うくらいで、言ってしまえば余っているのです。 ジョンのご両親からは最後のお別れの際、「ウチには家も空き部屋も沢山あるんだから、あなたのカリフォルニアの家だと思って今度はあなたの家族も一緒に来なさい」と言ってくれました。個人的にもあそこまで資産があるなら多少お邪魔したところで全く気にならないレベルでしたので、是非また来ますと答えました。 ロサンゼルス、サンタバーバラ、サンルイスオビスポ、サンマルガリタとそれぞれ固定資産を持っているアステア家ですが、ロスは別としてそれ以外はま~あ言ってしまえばリゾート地かただの広大な田舎です。向こうでさんざん話に上がりましたが、僕が住む大阪は古都である奈良や京都に非常に近く、しかもビジネスの集まる大都会なわけで、ずっとあちらに住む方々にとってはもう別世界であり、僕の日常の話を聞くだけでも楽しいと言われました。僕にとってはこっちにいる今が異世界ですけどね~と笑っていましたが、もちろん本音です。 あっちはあっち、こっちはこっち、それぞれ全く違う世界で、こっちにしかないものもあっちにしかないものもあります。多分、ずっとこっちにいればあっちが羨ましくなり、逆も又然りなのでしょう。多分ですが、僕にとっては少なくともあっちとこっちと時々行ったり来たりすることが出来る人生なら、きっと楽しいだろうなと、純粋にそう思えました。 どんなに価値のあるものでもそれが日常になれば価値観は薄れます。ならば、価値観を時々リセットしてやれば自分の日常が如何に楽しく充実したものであるかもわかりますし、向こうの世界の美しさもより鮮明に感じられると僕は思うのです。ジョン・アステアと僕は、なんだかんだ言ってミュージシャンとしては相当恵まれた状況にいるんじゃないかと、なんだかそう結論として思えました。僕たちには従わなければいけないルールもないし、暗黙のプレッシャーもありません。単純にやりたいことをやりたいようにすればいい、そんな理想を許されていることに感謝せずに音楽をするのはなんだかな、と二人でモンタナ・デ・オロ州立公園を歩きながら話しました。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-07 23:55
| 日記
今日は此方の時間で金曜日。今晩がサンルイスオビスポに滞在する最後の日になります。牧場のギャリーさんが餞別にカウボーイスタイルのバーベキューをしてくれるそうで、今回お世話になった方々がみんな集まってくれます。 帰りの飛行機は日曜日の朝8時発なのですが、この町からロサンゼルス空港までは車で数時間かかってしまうので、ロサンゼルスの少し南にあるジョンのおばあさん(故人)の家に泊めて貰うことになりました。途中でまたサンタバーバラに立ち寄って昼食をとったり、サンタモニカという町の楽器屋を見に行ったりしますが、明日は基本的にロサンゼルスへ行って海を見たりボーッとする一日になりそうです。次の日の朝が早いのでね。 今日の予定は2年前に大阪に来たスティーヴとの再会と、ジョンと3人でちょっとした山をハイクして海や町を一望する予定です。ジョンとの練習中に右手の人差し指の爪が割れたり、妙に疲れて半日寝た日があったりと色々しましたが、本当に充実した1週間でしたね。まだあと2日ありますが。 ジョンのご両親がまたおいでと言ってくれました。正直なところ、この町からラスベガスがそんなに遠くないので、今度はラスベガスへも行ってみたいですけどね。これだけ何度もアメリカ本土を訪れていながらラスベガスに行ったことがないのはみんな「なにをしとってんお前は」と言うので。 プロジェクトの話はかなりまとまってきて、スタイルやモチベーションはもちろんですが、状況次第では僕とジョンがアトランタのプロデューサーのスタジオに行くよりも、プロデューサーにシアトルまで来て貰って、そこにあるジョンのお兄さんのスタジオで録音しようかという話になっています。なにはともあれジョンからは、「とにかく曲書け」と言われました。あはは。 日本に帰ったら本格的に曲作りしていかないとね。そしてある程度新しい曲が溜まってきたら、今度はジョンが大阪に1週間くらい来て練習しまくって、曲が全部出そろったらシアトルにみんな集まって1週間くらい練習してからレコーディングセッションに臨もうか、という感じですね。タイムライン的には特にいつとは決まっていませんが。(僕が曲を書くのが遅いからなんですが・・・。) 忙しいとか言ってても始まらないですね。ホント。ちゃんと自分のやるべきこと見つめて、少しずつでも良いから進めていかないと。たった3曲しか今回持ってこれなかったのは本当に作曲者として悔しい限りですよ。僕はそんなに筆の遅いタイプではないのですけどね。まあ、去年は色々あり過ぎて仕方なかったと言ってしまえばそれまでですが。 さてさて、日も高くなってきましたね。そろそろハイクに行く準備しようかな。 ■
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by Alfred_61
| 2012-02-03 23:55
| 日記
今日、アステア家が経営する牧場の母屋から町へドライブしている時に、Peter KlimesというカントリーミュージシャンのCDを聞いていました。そのCDは彼の古い録音だったのですが、ジョンとの話の中で彼が去年から重い病気にかかっていて、恐らくは1年ももたないだろうという事実を聞きました。 僕はこの人の音楽に触れて色々なことを学びました。スタイルや方法はたいした問題ではなく、音楽って結局のところ何でも良いけどその音を通して何を表現するかなんだ、ということを僕が個人的に考え始めたのは、実はこの人の音楽に触れてからでした。そもそも僕はカントリーミュージックにあまり興味がなく、それはもう文化も言語も違う異国のものだと決めてかかっていました。けれども、Klimesの曲を聴いたとき、純粋に心を射抜かれたように感じました。ああ、なんて心に響く音楽だろう・・・、そう感じてから、何度も彼の音楽を聴きました。 ジョンのお兄さんとKilmes氏は近い関係だと聞いていたので、いつかは実際にお会いして是非話がしたいとずっと願っていました。けれども、状況を考えると恐らく彼が生きている間に僕が彼に会うことはないでしょう。そう考えるといてもたってもいられなくて、ジョンのお兄さんに、Klimes氏へ僕からのメッセージをフォワードして欲しいとメールしました。 to walk closer to the real music I am trying to reach to. Even the word "Thank you" is not enough for me to say to you. I am walking my way in music, as holding the soul of the real music I got from your music. Any more words would make it sound cheaper to me. I am a musician. I express my feeling to you through my music. It might not be able to reach to you, but I hope it would reach to the heart of the audience in Japan. Mr. Klimes, I respect you. ![]() ■
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by Alfred_61
| 2012-02-01 23:55
| 日記
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